研究・社会貢献

考古学研究所

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2015年1月22日

【遺跡探訪「飛鳥の古墳を歩く」を実施しました。】

つい最近、新聞に掲載された飛鳥の古墳の発掘に関する記事をご存知でしょうか?

「飛鳥最大級の方墳か 舒明天皇最初の墓の可能性」(読売新聞)、「小山田遺跡 方墳の濠? 巨大な溝 舒明天皇陵、蘇我蝦夷墓か」(毎日新聞)、「明日香に未知の古墳か 48メートル掘割、舒明天皇の墓説も」(朝日新聞)、「舒明天皇「滑谷岡陵か」(産経新聞)…。こうした記事が1月16日の新聞各紙をにぎわしました。

奈良県高市郡明日香村の小山田(こやまだ)遺跡から飛鳥時代中頃(7世紀中頃)の巨大な古墳の濠跡がみつかり、舒明天皇の最初の墓である滑谷岡陵(なめはざまのおかのみささぎ)や、乙巳の変(645年)で自害した蘇我蝦夷の大陵との説が出されたのです。飛鳥時代の有名人の墓との報道に、古代史、考古学ファンは感動し、翌日の現地説明会には8000人もの人々が現地を訪れたそうです。

小山田遺跡の発見が新聞一面をにぎわした同じ日、帝塚山大学考古学研究所では、考古学研究所の清水昭博所長(文学部日本文化学科准教授)、甲斐弓子特別研究員の引率のもと、遺跡探訪「飛鳥の古墳を歩く」を実施しました。今回の探訪では、古代の都である飛鳥地域の南部にあるキトラ古墳、高松塚古墳、中尾山古墳、石舞台古墳、鬼の俎・雪隠古墳、欽明天皇陵、岩屋山古墳、小山田遺跡(遠望)などを踏査しました。

この遺跡探訪では、各古墳の解説を演習で考古学を学ぶ本学文学部日本文化学科の一年生が担当し、資料づくりから現地説明までをおこないました。当日は日本文化学科の学生に加え、甲斐研究員が日本史の講義を担当する法学部の学生、留学生、大学院生など、総勢22名が参加しました。古墳の解説を担当した学生の多くは、はじめて人前で遺跡の説明をし、とても緊張したことでしょう。しかし、こうした経験は、将来、社会でも大いに役に立つはずです。飛鳥が古墳フィーバーをした日、学生たちも飛鳥の古墳研究の第一歩を歩んだのでした。

1.高松塚古墳

2.鬼の俎・雪隠古墳(俎)

3.岩屋山古墳の石室

4.岩屋山古墳での記念撮影