2021年6月17日
第6回 瓦コレクション ~古代瓦と鬼瓦、そしてメデューサ
帝塚山大学は、開学以来の長い間に収集された多くの文化財や歴史的資産を所蔵しています。学生の眼に触れる機会がなかなかありませんので、そのいくつかを順番に紹介していきます。
最初に紹介するのが本学の誇る「瓦コレクション」です。日本の瓦は飛鳥時代に飛鳥寺で製作されたのが最初とされています。飛鳥寺は6世紀末から7世紀初めに蘇我馬子の発願で建てられた日本最古の仏教寺院です。創建時の伽藍は失われていますが、本尊である銅造釈迦如来坐像(重要文化財)が残っており、「飛鳥大仏」として信仰を集めています。
飛鳥寺の瓦は朝鮮半島の影響、とくに百済からの専門家(日本書紀に「瓦博士」らの記述有り)の指導を受けて飛鳥(明日香村)の地で製作されました。図1は本学が所蔵する飛鳥寺の蓮華文軒丸瓦の破片です。本学の清水昭博教授(文学部長、附属博物館長)(2021年時点)は、朝鮮半島の瓦に造詣が深く、百済(図2)や新羅、高句麗(図3)などの瓦と日本の古代瓦の比較研究により、文化の伝播について研究を続けています。瓦は粘土を高温で焼いて作られていることから、他の文化財よりも丈夫で古代のものが多く残っており、相互に比較することで古代の文化伝播の様子が分かるのです。
帝塚山大学の瓦コレクションは多くの個人コレクターからの収集、寄贈により徐々に充実してきましたが、朝鮮半島の瓦については井内功氏のコレクションの収集、寄贈が大きかったと言われています。他にも法隆寺第128世住職の故・高田良信氏による中国瓦や故・西上昇氏、故・小林章男氏による日本瓦のコレクションなどが寄贈されました。2017年には韓国政府の調査団が来日されて、帝塚山大学のコレクションを調査し、2020年に図録(『日本帝塚山大学附属博物館所蔵韓国文化財』)として発行されました(図4)。
鬼瓦は棟の末端に付ける装飾瓦であり、当初は軒丸瓦と同様に、仏教の象徴である蓮華文様が使用されていましたが、奈良時代には厄除けとして鬼の面が使用されるようになりました。本学附属博物館には多数の鬼瓦が所蔵されており、いくつかを常設展(「鬼瓦の歴史」)で見ることができます(図5)。
図6はイタリア半島の古代都市国家エトルリアで製作されたメデューサのテラコッタです。テラコッタとは、古代ヨーロッパ等で製作された素焼きの焼き物を意味します。ギリシャ神話で有名なメデューサは見たものを石に変える女性であり、本品は魔除けのために屋根に飾られていたものです。古代東アジアの屋根に飾られた装飾瓦である鬼瓦にも通じていますね。本学のメデューサは約2,400年前の製作と推定され、ルーブル美術館や大英博物館の同型品に引けを取らない優品とされています。こうした作品が市場に出回ることは非常に少ないとされ、本学が入手できたことは幸運でした。東(日本)の鬼瓦と西(ヨーロッパ)のメデューサのテラコッタ、そのどちらもが本学附属博物館で展示されています。
本学附属博物館には,紹介した瓦以外にも、日本各地の古代瓦や鯱瓦、鴟尾(しび)などが展示されていますので、日本やアジアの古代文化をぜひ鑑賞してください。
参考文献
・『日韓の瓦』(森郁夫・金誠亀、2008)
・『古代朝鮮の造瓦と仏教』(清水昭博、2013)
大本学キャンパスには、数多くの樹木があります。大阪市立大学名誉教授で帝塚山学園の学園長も務められた高田英夫先生は植物学の権威であり有り、大阪市立大学理学部附属植物園(現大阪市立大学附属植物園 大阪府交野市私市)から約1一万本の樹木の寄贈を受けて、キャンパスを豊かな樹木で整備されました。特とくに東生駒キャンパスの樹木の数と種類(約200)は、植物園として通用するほどとい言われています。
私の好きな樹木のひとつに、5号館から図書館や7号館(情報教育研究センター)に抜ける自動ドアを出たところにあるセコイヤがあります。セコイヤに出会う(出合う ものの場合は出合う。特別な思いがある場合は出会うも可)別のルートとして、7号館から西にある外階段を上りきりったところで左手を見るとにを見ると、大きなセコイヤの木が見えます(図写真1)。セコイヤは北米などに分布する巨大樹で、日本でも化石として数多く発掘されています。このセコイヤが植えられたのは、大学が共学化(共学化されたのは87年です)され、大学の男女共学化(1987年)に向けて当時の経済学部棟(現4号館、5号館)が建設された1986年(昭和61年)です頃と推定されます*((高田,2002)引用元)。今は高さが26mという巨木になり、風格が漂ってきました。
バス停前のにある時計台の先にはレイランドヒノキ(図写真2)とメタセコイヤ(図3)があります。化達レイランドヒノキはアラスカヒノキとモントレースギの交雑種です。メタセコイヤは、京都大学の三木茂氏による化石調査により1941年の論文で新属として命名されていますが、1946年に中国四川省で生育しているメタセコイヤが発見されました。その後、アメリカの研究者が苗を持ち帰り、日本には1949年に苗木と種子が寄贈されました。記録によると、カルフォルニア大学チェイニー教授から皇室に、ハーバード大学メリル教授から東京大学に送られたとあります。
メタセコイヤの和名はアケボノスギです。セコイヤはメタセコイヤから生まれたのですが、メタセコイヤが落葉樹であるのに対して、セコイヤが常緑針葉樹というのが興味深いですね。昭和天皇はこのアケボノスギを愛され、1987年(昭和62年)の歌会始において、和歌を詠まれています。
わが国のたちなほり来し年々に あけぼのすぎの木はのびにけり
戦争で大きく傷ついた日本が、戦後に再び立ち直って発展していった姿を、アケボノスギの成長と重ね合わせた内容です。
メタセコイヤについては、滋賀県高島市マキノ高原や大阪市花博記念公園鶴見緑地の並木が有名ですが、ご近所の京都府精華町けいはんな学研都市の精華大通りで1.5km続くメタセコイヤ並木も見事です。本学のメタセコイヤはまだ樹齢が若く、それほど目立ちませんが、これから10年後、20年後には素晴らしい樹木に成長して、学生たちを見守ってくれるでしょう。
大学創設の1964年(昭和39年)当時から大学にある樹木としては、食堂から5号館への階段を上ったところにあるアカマツが代表です(図写真4)。開学当時は現在の通用門の近くに右が正門があったようです。 今でもて、帝塚山大学附属博物館と通用門の付近には門から校舎へと続く道沿いにアカマツの木が何本もあります。が植えられていたようです 。博物館の左手を降りていく旧正門の小道が残っており、道沿いにアカマツが少しだけ残っています。また、
このように、東生駒キャンパス内には多様な樹木があります。春や夏の花々も良いですが、
秋には通用門に降りていく道路沿いのイチョウ並木が私たちの心を和ませてくれます(図写真5)。
分かりやすいように、キャンパス地図上に、図の番号を載せておきます(図6)。学生の皆さんも、時間を見つけてキャンパスを散策され、季節ごとのキャンパスの風情を樹木や花々から感じとって下さい。
参考文献
・ 高田英夫 「大学の森 第7回 セコイヤ」(大学通信「帝塚山」, No.12, 2002)
・ 斎藤清明 『メタセコイヤ』(中公新書, 1995)
・ 生物学御研究所(編) 『皇居の植物』(保育社, 1989)