2021年9月30日
第18回 永野鹿鳴荘ガラス乾板での仏像写真資料~私立大学研究ブランディング「学際的奈良学研究」の取組(1)
帝塚山大学が所蔵する文化財には、古代瓦など飛鳥時代から近代の美術品・工芸品や文書など幅広い年代のものが含まれています。今回紹介するのは、永野太造(ながの・たぞう)氏(1922~1990)が撮影した文化財写真のガラス乾板の数々です。今回の専門アドバイザーは、古代史がご専門の文学部鷺森浩幸教授です。
さて、ガラス乾板とは何でしょうか?現在のカメラでは、デジタル方式で写真を撮影していますが、その前は、写真フィルム(白黒やカラーフィルム)の銀塩写真方式でした。ガラス乾板というのは、写真フィルムよりも古い技術であり、ガラスの板の上に臭化銀という銀の化合物を含ませたゼラチンを塗り、それを感光させることで、被写体のネガ画像をつくるという方式です。それを印画紙に焼き付けると元の画像が再現されます(服部,2019)。
帝塚山大学の永野太造氏のガラス乾板資料の名称は「永野鹿鳴荘ガラス乾板等資料」と言います。永野鹿鳴荘は奈良国立博物館に隣接する茶店を営むとともに、仏教美術関連書籍の出版や仏像写真、絵葉書等の販売を行っており、その際に「鹿鳴荘」の名前を使用していました。永野鹿鳴荘の二代目当主であった永野太造氏は、1952(昭和27)年に奈良文化財研究所の依頼により美術工芸室の文化財調査資料を撮影したのを始め、個人でも文化財写真等を撮影し、社寺や永野鹿鳴荘等で販売していました。
その際に、ガラス乾板に撮影された膨大な写真資料が「永野鹿鳴荘ガラス乾板等資料」です。帝塚山大学では、2015(平成27)年に永野家から永野太造氏撮影のガラス乾板、約7000点の寄贈を受け、2017年度文部科学省私立大学研究ブランディング事業「帝塚山プラットフォームの構築による学際的奈良学研究の推進」(2018~2020)において、調査研究を行ってきました。図1はそのガラス乾板の保管室の様子です。一枚一枚のガラス乾板が永野鹿鳴館の名前の入った硫酸紙で包まれ、箱に納められており、撮影された写真の多くは、昭和20年代から40年代にかけての奈良に所在する仏像や大和路風景の数々です。
これらのガラス乾板を、大学では5000万画素の高画質カメラを用いてデジタル写真で撮影し,アーカイブ化しました(図2)。そして、その成果を「永野鹿鳴荘ガラス乾板データベース」として、さらには、参考文献のような調査概報としてまとめています。永野太造氏について、最近、「サライ」の写真家特集でも取り上げられており、今後、写真公開と研究が進むにつれて、写真家としてますます社会的に認められてくることが予想されます。
データベース化された仏像写真を元にして、2020(令和2)年には、東京の半蔵門ミュージアムや日本カメラ博物館において、「永野太造写真展」が開催されました(図3)。永野太造氏と同時期に活動していた写真家・入江泰吉氏の写真資料等は奈良市写真美術館に収蔵展示されており、永野太造氏資料は民間に残る最後の貴重な資料でした。本学に寄贈されたことで、本学が推進する「奈良学」研究の有益な資料となるとともに、広く社会に公開できることになりました。
文学部の授業では、デジタル化された写真などを用いて、実物に即した文化史学習も行われています(図4)。帝塚山大学は奈良の地にありますので、寺院に出かけて本物の仏像に出会うことができますが、どうしても寺院等では仏像との距離が遠く、かつ秘仏であることも多いためご開帳の時期が限られています。こうして間近で撮影された仏像写真を通じて、表情の陰影や仕草の意味など、仏像への深い理解が可能となります。また、数々の仏像を見比べることによって、仏師の特徴や時代変遷など、仏教美術への関心が高まることでしょう。
永野太造氏の写真には、昭和の時代の大和路の風景が多く含まれています(図5)。歴史的景観への関心を高めるためにも、こうした貴重なガラス乾板資料を保存、活用していく役割が大学にはあると考えています。
参考文献
・ 帝塚山大学奈良学総合文化研究所 『永野鹿鳴荘ガラス乾板資料調査概報(1)~(5)』,私立大学研究ブランディング事業「帝塚山プラットフォームの構築による学際的奈良学研究の推進」(2018~2020)
・ 服部敦子 『写真家・永野太造氏と永野鹿鳴荘について』,帝塚山大学附属博物館報Ⅹ(帝塚山大学附属博物館,2015)
・ 服部敦子 『永野鹿鳴荘の仏像写真 -デジタル化作業からわかったこと-』,奈良学叢書2(帝塚山大学出版会,2019)
・ 服部敦子 『永野鹿鳴荘ガラス乾板資料の整理と撮影画像の特徴について』,奈良学研究第二十二号(帝塚山大学奈良学総合文化研究所,2020)
・ 写真家の生涯と名作「永野太造」サライ 2020.11 小学館 54-55