学長、帝塚山大学

2021年9月10日

第16回 大学の歴史 ~正門の謎

図1の写真をご覧下さい。1969(昭和44年)年に撮影された大学東生駒キャンパス正門の様子です。大学が開設された女子大時代には、法学部が入っている現在の6号館は前庭になっていて、この正門を通って、大学と学園前駅でスクールバス、その後生駒駅や富雄駅の路線で奈良交通のバスが運行されていました(図2)。東生駒駅と大学間で奈良交通のバスが運行開始されたのは1969年からです。図2の写真は1960年代後半に撮影されたものですが、当時の雰囲気を感じ取ることができますね。

ところが、この正門ですが、現在(2021年)の東生駒キャンパスを歩いてぐるりと回っても見当たりません。さらに、図1の写真で、正門から見えるキャンパスの建物の位置関係に奇妙な点があります。遠景で見える建物は左側に旧1号館、右側が現2号館です。まだ樹木がそれほど成長していないこともあり、2号館の1階部分が綺麗に見えます。しかし、現在、同じ角度から2号館が見える場所は、少なくともキャンパス内の道路上にはありません。それではこの正門はどこにあって、そしてどうなったのでしょうか。

その手がかりとなるのは、昔に撮影された国土地理院の航空写真です。こうした航空写真は国土地理院のHPを通じて、今でも入手することができます。図3(左)は1966(昭和41)年の写真で、大学施設が完成しつつあります。阪奈道路は開通していましたが、まだ富雄IC(インターチェンジ)はありません。キャンパスから北にある正門に向かう道があることが分かります。さらに、1975(昭和50)年当時の図3(右)になると、阪奈道路の富雄インターが完成しています。当時の阪奈道路は有料道路だったため、富雄ICや本線上に料金所が設置されています。また、大学の東側には帝塚山住宅地が造成中なのが見て取れます。

この写真によって、開学以来の正門の位置が分かります。キャンパスから北に延びて行く道の先に正門の壁が見えます。今では、この正門も校舎からそこまで続く道もありません。現在の敷地では、整地をした上でテニスコートや駐車場・駐輪場として利用されています。 図3をさらに良く眺めると、前庭から正門に向かう途中でまっすぐに西に向かって降りていく未舗装の道路が見えます。この道路が県道と交差する地点に、1981(昭和56)年になって、第二期の正門(現在の通用門)ができ、正門の移転が行われました(図4)。

さらに、1987(昭和62)年の、経済学部の新設と大学の男女共学化に伴い、新たな校門が設置されます(図5)。バスロータリーもあるエントランスへと続く校門です。最初は通用門という位置づけでしたが、まもなく正門となりました。図6には、現在の形となったキャンパスの航空写真(2008(平成20)年)と現在(2016年撮影)のエントランスの様子を示しておきます。1987年当時の樹木が大きく成長して、緑豊かなエントランスへと変貌しています。

1987年当時の真新しいキャンパスの姿も素敵ですが、歳月を経て成熟した風景も味わい深いものです。学生の皆さんもキャンパスを散策して、歴史を経た正門や建物を眺めて、帝塚山大学57年の歴史(2021年時点)に想いを馳せていただければと思います。

図1 1969年頃の正門の様子

図2 (左:富雄駅行き キャンパス内バス停 :1967(昭和42)年 右:東生駒駅 帝塚山大学行きバス停:1969(昭和44)年 奈良県立図書情報館・奈良交通写真提供)

図3 大学開設当時の東生駒キャンパス周辺の変化(左:1966年;右:1975年)

図4 第二期正門(1981年以降)(現通用門)(2021年撮影)

図5 新たな第三期の正門へ(1987年頃)(上:2021年現在の正門)(1987年撮影)(下:エントランス遠景)(1987年撮影)

図6 現在のキャンパスとエントランスの様子(上:現在の帝塚山大学東生駒キャンパスの様子:2008年撮影・国土地理院)(下:エントランス遠景;2016年撮影)