学長、帝塚山大学

2021年8月24日

第14回 法学部 ~法の起源

子ども時代に遊んでいたおもちゃや親が読んでくれた絵本はいつまでも覚えていますね。小さい頃から馴染んでいる遊び道具や人形たち、さらには親しんだ絵本の数々を、大人になっても大切に保存している方も多いと思います。
遊具(遊びに利用される道具や設備)は、体を動かすことで運動機能を向上させ、心と体の成育を助けてくれます。自然の中での遊び体験はリスクを伴うため、つねに大人による安全確保が求められますが、よく考えられた遊具は、子どもの安全に配慮して開発されてきましたので、子どもたちが比較的自由に遊べるという長所があります。子どもたちは一人であるいは他の子どもたちや親、先生方と一緒に遊ぶことを通して、心身を成長させていきます。
また、幼いころ、まわりの大人たちが読んでくれた絵本で、私たちは少しずつ世界の成り立ちを理解していきました。ときには、主人公の気持ちになって、物語で出会う不思議な動物や人間と触れ合ったり、ときには怪物に驚いたりして、いつしか成長することができました。
「小学校教諭」「幼稚園教諭」「保育士」の3資格の取得、さらには教員の養成をめざしている教育学部こども教育学科は、他の大学施設とは道を挟んだ建物(学園前キャンパス18号館)で多くの授業を行っています。その一階にある「子育て支援センター(通称:まつぼっくり)」は、地域住民の子育て支援を推進するとともに、教員、学生の子育て支援に関する教育・研究の場として、多くの遊具や絵本を備えています。遊具や絵本の専門アドバイザーを、教育学部こども教育学科の清水益治教授(学部長:2021年時点)と徳永加代准教授にお願いしました。
図1は子育て支援センターにある円形に設置された遊具のコーナーです。子どもが安心して遊べるように、色々な遊具が集められています。左奥の丸が8つ並んでいるのは、SUZUKIミュージックパッドMP-8(鈴木楽器製作所)です。パッドを踏むとドレミの音が出ます。その下の椅子のように見えるのは「コアラ」と呼ばれる遊具で、座る、乗る、トンネルのようにくぐる、などさまざまに工夫を凝らして遊ぶことができます。製造元であるデンマークのGONGE社では、子どもたちが室内でもより活発に体を動かすことを目的に各種の遊具を開発して、高い評価を受けています。その手前にあるのが木製のトンネル(こどものとも社)、その右のワニの背のようなものはウェイブバランス平均台(都村製作所)です。都村製作所は香川県のスポーツ機器と遊具を手がけるメーカーですが、室内・室外を問わず、多種多様な遊具を開発販売しています。また、滑り台が2つありますが、奥が1~2歳児用(マスセット社)、手前は更に低年齢児用の木製すべり台(こどものとも社)です。
子育て支援センターには、そのほかにも個性的な遊具をたくさん揃えていますので、その一部を紹介しましょう。図2の上がデュシマ社の床置きのピラミッド型のおもちゃです。各面に小さな子どもが興味を持つような素材がたくさんついており、回したり、音を鳴らしたり、眺めたり、手を突っ込んだりと、発達段階に応じて子どもたちの触覚・視覚・聴覚を刺激してくれます。また、数人の子どもが同時に遊べるので、楽しそうです。図2下がクネクネバーン/トレインカースロープ(ベック社)の木製のおもちゃ。駆け下りるトレインを子どもが追視するのを促してくれます。
乳幼児期の環境にダイバーシティ(多様性)を組み入れる必要性は、世界で認識されています。世界中で使われている保育環境評価スケール(ハームスら)でも、「多様性の受容」という評価項目が取り上げられています。この項目では図3の写真のような人種の多様性を示す人形などが利用されています。多様な文化を示す民族衣装、色々な民族の調理や食事の道具が保育室にあることで評価が高くなります。教育学部こども教育学科においては、保育士や幼稚園教諭、さらに小学校教諭養成機関としての教育環境を向上させるためにも重要です。
センターでは絵本を用いた実習にも力を入れています。図4は学生たちによる手作り絵本の例です。図4上は絵本に付けられたキュウリなどの野菜を取ることができます。子どもたちも喜びそうです。図4下は絵本が丸くくり抜かれていて、顔を出して遊べます。
大型絵本も充実しています。図5上は大型絵本の収納スペースです。大型絵本の読み聞かせは大勢の子どもたちに対して行う保育活動ですので、発声のみならず、話のテンポや園児の観察などのスキル向上のために、充分な訓練が求められます。教育学部こども教育学科の学生が実施している実際の読み聞かせの場面を紹介しておきます(図5下)。
いかがでしたか。「子育て支援センター」の施設と遊具の一部を紹介しましたが、私たちは、子どもの安全を確保しつつ、成長を促す遊具や絵本が日本中で活用されていくことを願っています。さらに、「教育学部こども教育学科」を卒業された皆さんが保育園や幼稚園、小学校など様々な現場やご家庭で、遊具や絵本を用いて子どもの成長を促してくれることを期待しています。
参考文献
ハームス,T他(著);埋橋玲子(訳)(2016)『新・保育環境評価スケール①(3歳以上)』,(2018)『新・保育環境評価スケール②(0・1・2歳)』,(2018)『新・保育環境評価スケール③(考える力)』,法律文化社
杉上佐智枝(著)(2020)『絵本専門士アナウンサーが教える心をはぐくむ読み聞かせ』,小学館
児玉ひろ美(著)(2016)『よくわかる!絵本の選び方・読み方 0~5歳 子どもを育てる「読み聞かせ」実践ガイド』,小学館
絵本と読み聞かせの情報誌『この本読んで!』(季刊誌),メディアパル
宮里曉美(編)(2020)『触れて感じて人とかかわる 思いをつなぐ 保育の環境構成 0・1歳児クラス編』,中央法規出版

法律は私たちの社会を作り出し、安定させる制度の一つです。法律が存在しない太古の時代には、おそらく力(たとえば富や軍事力)や信仰(自然崇拝や宗教)が社会を動かしていたでしょう。しかし、社会が発展するにつれて、広大な国土の多くの人々に対して、社会的紛争や事件を解決するために、法律が生み出されていきます。法律は自分にはあまり関係ないとか親しみにくいと考える方もおられるかもしれませんが、実際は、全ての人が社会生活を送る中で法律と何らかの関わりを持っています。

日本でも、聖徳太子が定めたとされる十七条憲法に代表されるように、日本人が守るべき規範や行政手続きについて、多くの法律が存在していました。しかし、日本は、明治維新後に西洋法を取り入れて近代化を成し遂げました。今回のエッセイでは、長い歴史を経て生み出されてきた西洋法の歴史と内容を取り上げます。

帝塚山大学東生駒キャンパス図書館および法学部資料室には、こうした西洋法に基づいた現代日本の法律学を体感してもらうために、現代西洋法の起源であるローマ法から、さらにヨーロッパ各国が法典編纂(へんさん)を成し遂げた後の法令や判例集が、可能な限り集められています。また、日本の法令・判例集についても明治初期のものから収集しています。学生の皆さんも直接触れてみることができる環境が整っていますので、ぜひ直接ご覧下さい。

それでは、帝塚山大学法学部で皆さんが出会うことのできる法学の書物や資料を見ていきましょう。今回の専門アドバイザーは、ローマ法・法学史がご専門の飛世昭裕教授(副学長、図書館長:2021年時点)です。

西洋法の起源とされるのが「ローマ法」です。ローマ人はある「事件」(法学的には「事案」)を解決するために、法律を出発点として、それを解釈することで、当事者の権利や義務を「判定」しました。やがて彼らはこうした判定のよりどころとなる「判断基準」を生み出すことが重要であることに気がつきました(『法学への第一歩』,帝塚山大学法学部)。

紀元前5世紀から紀元5世紀にかけて、およそ一千年の間に蓄積された膨大な事案と判断基準がローマ時代の世界的遺産となっていきます。ローマ帝国はやがて東西に分裂し、西ローマ帝国は滅亡しますが、東ローマ帝国はさらに一千年存続します。6世紀初めの東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世が古代ローマ法を集大成した『ユスティニアヌス法典』を編纂しました。これがヨーロッパの近世以降で『ローマ法大全 Corpus Juris Civilis』(図1)と呼ばれるものです。

やがて、このローマ法大全は、11世紀のイタリアで学問的に再発見され、ボローニャ大学に世界最初の法学部が設立され、ヨーロッパ全土に影響が広がっていきます。15世紀になり、近世のルネッサンスで活版印刷術の発明により、「ローマ法大全」は急速に普及しました。

図1(左) の『ローマ法大全, 1663年:アムステルダム刊)』(飛世教授個人蔵)は、近代のローマ法大全校訂版の中で、もっとも良いとされるオランダのリーウェンの手による版です。写真はその表紙で、天秤ばかりと剣を持った裁きの神テミスが最上部に描かれています。この天秤ばかりは衡平(こうへい)を、剣は正義を実現する物理的な力を表しています。飛世教授の個人蔵ですが、法学部1年次生向けのリレー講義「法学への第一歩」では、実物が披露されます。日本の他の大学や図書館にもほとんど所蔵されていない貴重書の一つです。図1(右)は大学図書館の所蔵するローマ法大全の刊本の一つ5巻本『新編ユスティニアヌス帝学説彙纂』(1818-25年)です。ローマ法大全の中のもっとも重要な部分の一つ「学説彙纂」を編集しなおしたもので、またフランス民法典にも大きな影響を与えたフランスのポチエによるローマ法の集成版です。

次に紹介するのは、フランスの法学事典です(図2上)。18世紀後半から19世紀初めのフランス民法典編纂期に編纂された、ローマ法から、アンシャン・レジーム期のフランスの王令、法律、慣習法と民法典との関係をまとめた法学事典の大作で、全16巻あります。フランス関係では、フランス民法典編纂後、19世紀に初めて編纂されたフランスのもっとも古い法律学事典の一つである事典(図2下)も法学部資料室に所蔵されています。

図3上はドイツのローマ法を中心とするごく初期の法学辞典『ローマ法辞典』(バーゼル刊1549年)は16世紀半ばの、ゴシック形式のやや大きめの活字が美しい初期の印刷刊本です。図3下はフランスのポチエ編『新編ユスティニアヌス帝学説彙纂』(パリ刊1815-25年)で仔牛皮の美しい装丁本です。

イギリスに関しては、マグナ=カルタ(Magna Carta)以来の法令集成の書物を紹介します(図4)。マグナ=カルタは、13世紀に成立したイギリス最古の法律です。成立にあたっては、国王と貴族、教会、フランスとの対立や交渉など複雑な経緯が歴史に残されています。帝塚山大学所蔵の『マグナ=カルタ以来の制定法集成』は、18世紀に刊行された、1215年のマグナ=カルタ(大憲章)以来のイギリスの制定法を集成した書物です。

さらに、日本の『仏蘭西法律書』を紹介しましょう(図5)。明治維新となり、日本が近代化のために民法典を中心とした西洋の法律、法律学を急いで取り入れなければならなかったときに、世界でもっとも進んでいたフランスの民法典の翻訳を1870年(明治3年)、当時の明治新政府司法卿江藤新平が、洋学者箕作麟祥(みつくり りんしょう / あきよし)に翻訳を急がせたものです。なお箕作麟祥は、現在(2021年)放映中のNHK 大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一と共に、1867年(慶応3年)、ナポレオン3世のパリ万国博覧会に随行、その後将軍の名代として出席する徳川慶喜の弟・徳川昭武等と約1年間フランスに留学しています。フランス諸法典の翻訳は、帰国後の1869年(明治2年)に着手され、約5年の歳月をかけて、1874年(明治7年)に本書の形でまとめられました。その後明治政府は外国人の法学教師を招聘して法学教育を始めるとともに法典編纂事業にも取り組み、近代日本の法学と法律の基礎を築きました。

法学部では、これらの歴史的な法律書や書籍、作品から、現在までの法令集、判例集まで、学生の皆さんが直接触れながら学修することができます。日本の法律の成り立ちを理解し、法律がいかにして社会を創ってきたかを理解することは、社会人になっても有益だと思います。先生方と共に、法の起源を探して見ましょう。

 

参考文献

法学の歴史一般 
・五十嵐清『法学入門』〔新装版第4版〕(日本評論社、2017年)
・帝塚山大学法学部編『法学への第一歩』(帝塚山大学法学部、2018年、現在はTALES上のCHIRO-BOOKとしてオンライン上で提供)

ローマ法の歴史
・ピーター=スタイン(屋敷二郎監訳)『ローマ法とヨーロッパ』(ミネルヴァ書房、2003年)

本と出版の歴史
・樺山紘一編『図説 本の歴史』(フクロウの本)(河出書房新社、2011年)

図1 ローマ法大全関係の書物 左はアムステルダム版表紙扉絵(扉絵最上部に描かれているのは裁きの女神テミス像、右の中央に図書館長室のブロンズ製テミス像) 右、手前はアムステルダム版『ローマ法大全』、後方左からポチエ編『新編ユスティニアヌス帝学説彙纂』1815年パリ刊、中央同1748-52年リヨン刊、オランダのフット(Voet)による『ローマ法註解(Commentarius ad Pandectas)』 1778年

図2上 フランスの法学事典(Merlin, Repertoire universel et raisonne de jurisprudence, 16tomes 1810-1820)

図2下 フランスの法学事典( Dictionnaire general et raisonne de legislation, de doctrine et de jurisprudence, en matiere civile,commerciale, criminelle, administrative et de droit public. 5tomes 1835-41)

図3 上:ドイツの法律事典『ローマ法辞典 Lexicon juris civilis』バーゼル刊1549年    下:ポチエ編『新編ユスティニアヌス帝学説彙纂』パリ刊 1748-52年初版 3巻本

図4 イギリスの『マグナ・カルタ以来の制定法集成』(Pickering, The Statutes at large, from Magna Charta 46 vols. 1762-1807)

図5 日本の初期の法律書『仏蘭西法律書』(博聞社, 1888年)