学長、帝塚山大学

2021年5月27日

第3回 キャンパスの樹木たち

本学キャンパスには、数多くの樹木があります。大阪市立大学名誉教授で帝塚山学園の学園長も務められた高田英夫先生は植物学の権威であり、大阪市立大学理学部附属植物園(現大阪市立大学附属植物園 大阪府交野市私市)から約1万本の樹木の寄贈を受けて、キャンパスを豊かな樹木で整備されました。特に東生駒キャンパスの樹木の数と種類(約200)は、植物園として通用するほどといわれています。 

 私の好きな樹木のひとつに、5号館から図書館や7号館(情報教育研究センター)に抜ける自動ドアを出たところにあるセコイアがあります。セコイアに出合う別ルートとして、7号館西にある外階段を上りきり左手を見ると、大きなセコイアの木が見えます(図1)。セコイアは北米などに分布する巨大樹で、日本でも化石として数多く発掘されています。このセコイアが植えられたのは、大学の男女共学化(1987年)に向けて経済学部棟(現4号館、5号館)が建設された1986年(昭和61年)です(高田,2002)。今は高さが26mという巨木になり、風格が漂ってきました。 

 バス停前の時計台の先にはレイランドヒノキ(図2)とメタセコイア(図3)があります。レイランドヒノキはアラスカヒノキとモントレースギの交雑種です。メタセコイアは、京都大学の三木茂氏による化石調査により1941年の論文で新属として命名されていますが、1946年に中国四川省で生育しているメタセコイアが発見されました。その後、アメリカの研究者が苗を持ち帰り、日本には1949年に苗木と種子が寄贈されました。記録によると、カルフォルニア大学チェイニー教授から皇室に、ハーバード大学メリル教授から東京大学に送られたとあります。 

メタセコイアの和名はアケボノスギです。セコイアはメタセコイアから生まれたのですが、メタセコイアが落葉樹であるのに対して、セコイアが常緑針葉樹というのが興味深いですね。昭和天皇はこのアケボノスギを愛され、1987年(昭和62年)の歌会始において、和歌を詠まれています。

わが国のたちなほり来し年々に あけぼのすぎの木はのびにけり

戦争で大きく傷ついた日本が、戦後に再び立ち直って発展していった姿を、アケボノスギの成長と重ね合わせた内容です。

メタセコイアについては、滋賀県高島市マキノ高原や大阪市花博記念公園鶴見緑地の並木が有名ですが、ご近所の京都府精華町けいはんな学研都市の精華大通りで1.5km続くメタセコイア並木も見事です。本学のメタセコイアはまだ樹齢が若く、それほど目立ちませんが、これから10年後、20年後には素晴らしい樹木に成長して、学生たちを見守ってくれるでしょう。

大学創設の1964年(昭和39年)当時から大学にある樹木としては、食堂から5号館への階段を上ったところにあるアカマツが代表です(図4)。開学当時は現在の通用門の近くに正門があったようです。今でも、帝塚山大学附属博物館と通用門の付近にはアカマツの木が何本もあります。

このように、東生駒キャンパス内には多様な樹木があります。春や夏の花々も良いですが、秋には通用門に降りていく道路沿いのイチョウ並木が私たちの心を和ませてくれます(図5)。 

分かりやすいように、キャンパス地図上に、図の番号を載せておきます(図6)。学生の皆さんも、時間を見つけてキャンパスを散策され、季節ごとのキャンパスの風情を樹木や花々から感じとって下さい。

参考文献
    高田英夫 「大学の森 第7回 セコイア」(「大学通信帝塚山」, No.12, 2002
    斎藤清明 『メタセコイア』(中公新書, 1995
    生物学御研究所(編) 『皇居の植物』(保育社, 1989

 

 

学キャンパスには、数多くの樹木があります。大阪市立大学名誉教授で帝塚山学園の学園長も務められた高田英夫先生は植物学の権威であり有り、大阪市立大学理学部附属植物園(現大阪市立大学附属植物園 大阪府交野市私市)から約1万本の樹木の寄贈を受けて、キャンパスを豊かな樹木で整備されました。とくに東生駒キャンパスの樹木の数と種類(約200)は、植物園として通用するほどとわれています。

 

私の好きな樹木のひとつに、5号館から図書館や7号館(情報教育研究センター)に抜ける自動ドアを出たところにあるセコイヤがあります。セコイヤに出会う出合う ものの場合は出合う。特別な思いがある場合は出会うも可)ルートとして、7号館から西にある階段を上りきったところで左手を見るとを見ると、大きなセコイヤの木が見えます(写真1)。セコイヤは北米などに分布する巨大樹で、日本でも化石として数多く発掘されています。このセコイヤが植えられたのは、大学が共学化(共学化されたのは87年です)され、大学の男女共学化1987年)に向けて当時の経済学部棟(現4号館、5号館)が建設された1986年(昭和61年)です頃と推定されます*(高田,2002引用元)。今は高さが26mという巨木になり、風格が漂ってきました。

 

バス停前のにある時計台の先にはレイランドヒノキ(写真2)とメタセコイヤ(図3)があります。レイランドヒノキはアラスカヒノキモントレースギの交雑種です。メタセコイヤ京都大学の三木茂氏による化石調査により1941年の論文で新属として命名されていますが、1946年に中国四川省生育しているメタセコイヤが発見されました。その後、アメリカの研究者が苗を持ち帰り日本1949年に苗木と種子が寄贈されました。記録によると、カルフォルニア大学チェイニー教授から皇室に、ハーバード大学メリル教授から東京大学に送られたとあります。

 

メタセコイヤの和名はアケボノスギです。セコイヤはメタセコイヤから生まれたのですが、メタセコイヤが落葉樹であるのに対して、セコイヤが常緑針葉樹というのが興味深いですね。昭和天皇はこのアケボノスギを愛され、1987年(昭和62年)の歌会始において、和歌を詠まれています。

 

わが国のたちなり来し年々に あけぼのすぎの木はのびにけり

 

戦争で大きく傷ついた日本が、戦後に再び立ち直って発展していった姿を、アケボノスギの成長と重ね合わせた内容です。

 

メタセコイヤについては、滋賀県高島市マキノ高原や大阪市花博記念公園鶴見緑地の並木が有名ですが、ご近所の京都府精華町けいはんな学研都市の精華大通りで1.5km続くメタセコイヤ並木も見事です。本学のメタセコイヤはまだ樹齢が若く、それほど目立ちませんが、これから10年後、20年後には素晴らしい樹木に成長して、学生たちを見守ってくれるでしょう。

 

大学創設の1964年(昭和39年)当時から大学にある樹木としては、食堂から5号館への階段を上ったところにあるアカマツが代表です(写真4)。開学当時は現在の通用門の近くに右が正門があったようです。  今でも帝塚山大学附属博物館と通用門の付近には門から校舎へと続く道沿いにアカマツの木が何本もあります。植えられていたようです 。博物館の左手を降りていく旧正門の小道が残っており、道沿いにアカマツが少しだけ残っています。また、

 

このように、東生駒キャンパス内には多様な樹木があります。春や夏の花々も良いですが、

秋には通用門に降りていく道路沿いのイチョウ並木が私たちの心を和ませてくれます(写真5)。

 

分かりやすいように、キャンパス地図上に、図の番号を載せておきます(図6)。学生の皆さんも、時間を見つけてキャンパスを散策され、季節ごとのキャンパスの風情を樹木や花々から感じとって下さい。

 

参考文献

     高田英夫 「大学の森 第7回 セコイヤ」(大学通信「帝塚山」, No.12, 2002

     斎藤清明 メタセコイヤ中公新書, 1995

     生物学御研究所(編) 皇居の植物(保育社, 1989


 [安田 政志1]門の位置?鈴木さん?

 [多賀 久彦2]富雄からの道が正門:今の通用門で良いですか?

 [鈴木 依子3]もともと松林だったのだと思います。

【図1】 5号館横のセコイア(2021年5月)

【図2】 レイランドヒノキ(2021年5月)

【図3】 メタセコイアと時計台(2021年5月)

【図4】 5号館へと向う階段上にあるアカマツ(2021年5月)

【図5】 通用門へと続く道路沿いのイチョウ(2017年11月)

【図6】 帝塚山大学東生駒キャンパスマップと樹木の場所(2021年5月)