[91頁]資  料

  環境紛争の解決における国際司法裁判所の利用−若干の考察
                       ジャビッド・レーマン (訳/高  杉   直)

[前注]
 ここに翻訳・紹介するのは、連合王国リーズ大学 (University of Leeds) 法学部の上級講師 (Senior Lecturer) である、ジャビッド・レーマン博士 (Dr. Javaid Rehman) による 「The Access to International Court of Justice in Resolving Environmental Disputes: Some Reflections」 と題する講演の記録である。 レーマン博士は、人権法及び国際環境法を主たる研究分野とし、香川大学の招聘で 一九九九年及び二〇〇一年に来日している。 以下は、来日の機会を利用し、二〇〇一年六月に帝塚山大学で開催された国際環境法研究会での講演録を、レーマン博士の許可を得て翻訳したものである。

[92頁]   はじめに

 相当な混乱に国際法が直面していた時期から、国際法の発展における世界裁判所の貢献は、一貫して確固としたものであった(1)。 二つの大戦間の困難な時期において、現裁判所の前身である常設国際司法裁判所は、多くの方法で立派な役割を果たしてきた。 現裁判所の役割及び目的に関する制約にもかかわらず、国際法の発展に対する現裁判所の貢献も意義深いものである(2) 。 北海大陸棚事件(3) 、ノルウェー漁業事件(4) 、庇護事件(5) などの裁判例、並びに、国連の職務中に被った損害の賠償事件(6) 、ジェノサイド条約に対する留保事件(7) 、ナミビア事件(8) 及び西サハラ事件(9) における裁判所の勧告的意見を見るだけでも、このような評価を行うことができよう。
 同様に、国際環境法に対する世界裁判所の貢献も大きなものであって、これらの貢献は、パルマス島事件(10)、コルフ海峡事件(11)、核実験事件(12)、メイン湾海洋境界事件(13)、ヤン・マイエン海域境界画定事件(14) などの多数の先例の検討によって認識できるであろう。 環境問題の重要さを提示する二つの事件が、裁判所で取り上げられてきた。 すなわち、ナウル燐鉱地事件(15) 及びガブチコボ・ナジマロシュ計画事件(16)である。 一九九五年九月二二日には、「核実験 (ニュージーランド対フランス) 事件に関する一九七四年一二月二〇日の判決の段落六三に従い状況審査」 を求めるニュージーランドの申立に基づき、裁判所は命令を下した(17)。 また、裁判所は、「核兵器使用の合法性事件(18) においても、勧告的管轄権を行使した。
 以上に加えて、世界裁判所の裁判官は、地球環境問題に一層強い関心を向けること、及び、環境上の必要性に応え得る法制度の発展を、かなり長い間、強力に主張してきた。 たとえば、前所長のNigendra Singh判事は、国[93頁]際司法裁判所規程二六条一項に基づく裁判所特別部の創設を強く主張してきた (19)。 同様の提案は、Lachs判事、Robert Jennings卿、及びGuillaume判事によっても提唱されてきた(20)。 世界裁判所が環境事件に一層強い焦点を当てる必要がある、という確信から、一九九三年に裁判所は、規程二六条一項に基づき初めて置かれる、特別部の創設を決定した。 特別部は七名の裁判官からなり、環境事件の処理に特化して担当するものである。 一九九三年七月一九日の公式発表は、次のように述べている。 すなわち、「環境法分野の発展及び最近の環境保護の発展という見地、並びに、管轄権の範囲内にある環境事件をできる限り広範に処理できるようにとの考慮から、裁判所は、環境事件のための七名からなる特別部を創設することが適当だと考えた 。(21)
 環境紛争解決において国際司法裁判所が果たす役割の重要性は、今や十分に確立されたものである。 これに対して、本稿では、環境問題を処理する際の裁判所の管轄権上の問題点及び不十分性に焦点を当てる。 これらの問題点及び弱点に鑑み、本稿では、国際環境紛争の解決において有益だと考えられる、いくつかの代替的な方法を提案する。     

     国際司法裁判所の管轄権の制約

 環境問題に関する最近の豊富な活動にもかかわらず、国際司法裁判所には内在的制約があり、そのために裁判所は環境紛争にとっての容易な解決媒体となっていない。 この制約は、地球が直面している環境問題の重要性についての認識不足によるものではなく、むしろ旧態依然の内向きの国際法に由来するものである。 近代国際法は、国家主権の中心勢力を信頼し、領域高権及び国内事項への不介入を定めてきた(22)。 国際司法裁判所を含む国連機関[94頁]は、これらの確立された諸原則に敬意を払っている。 国連憲章二条 (七)(23) の国内管轄条項という留保領域に対する浸食が増大しつつあり、かつ、国連という政治的機関に関する賛意が広がりつつあるにもかかわらず、国家主権及び領域高権という基本原則は、依然として環境及び人権を保護するための介入に対する障害となっている。
 国家主権の原則の当然の内容として、世界裁判所に事件を提訴するか否かにつき、各国が決定権を有することが認められる。 このような主権の内容は、国際司法裁判所規程においても、また同裁判所の先例においても認められている。 したがって、訴訟事件に関する限り、当事国を拘束する結果を得るためには、当該紛争に対する裁判所の管轄権についての当該当事国の受諾が重要な要素となる。 訴訟手続を開始するための管轄権の規則には、実質的に次の三種類のものがある。 すなわち、付託合意としての特別協定(24)、条約の管轄条項の受諾(25)、又は、国際司法裁判所規程三六条 (二)(26) に基づく裁判管轄権の受諾、である。 いずれの場合にも、当事国の合意という要件は、不可欠の前提条件である(27)。 実際、東チモール事件 (ポルトガル対オーストラリア )(28) で認められたように、当事国間の合意に基づく訴訟手続という性格から、訴外第三者の実体的利益に直接に影響を与える結果をもたらし得る本案の判断に関して、裁判所の極度の謙抑的態度が導かれている (29)
 国家間の訴訟とは別に、国際司法裁判所は、勧告的管轄権を行使する権限をも有する。 この勧告的管轄権は、国連総会、安全保障理事会又は国連憲章九六条に基づき総会が授権したその他の専門機関による申立に基づき、行使可能とされている。 裁判所は、総会授権機関の申立に基づき、特定国の利益に影響を与え得る問題に関する勧告的意見を提供することができるが 、(30)裁判所の実行では、裁判管轄権の原則に優越しないよう、多大な注意が払われてきている(31) 。 裁判所の勧告的管轄権の行使に関するその他の制約も、注意深い分析を要する。 すなわち、個別の国家には開放されていないこと、本質的に裁量的なものであること、当該申立を行う機関の所掌範囲内の[95頁]事項に起因する法律問題に厳格に該当すること、である。 なお、勧告的意見は、その性質上、拘束力あるものではないが、相当な権威と尊重を集めるものであることも、ここで言及しておくべきであろう。      

     環境法紛争の解決における管轄権の制約

 本稿の主対象である一定の環境問題に関して、裁判管轄権及び勧告的管轄権の双方の制約につき、注意深い検討が必要である。 まず、裁判所の裁判管轄権は、国家のみに開放されている。 国際司法裁判所規程三四条一項は、「国のみが裁判所に係属する事件の当事者となることができる(32) と宣言し、裁判所の裁判は 「当事者間において且つその特定の事件に関してのみ拘束力を有する(33) ものでしかない。 このような制限的な方法は、環境に一層深い利害関係を有する潜在申立人の一団を無視している。 この潜在申立人としては、個人、団体、人民、マイノリティ、原住民、非政府機関及び国際機関などが含まれよう。
 国際法上、個人、マイノリティ及び原住民の権利の承認及び受容が、認められつつある。 国際社会において、国際法の主体としての個人の承認は、人権文書の蓄積を通じて増幅しつつあるように感じられる。 人権及び基本的自由に関する欧州条約(34)などの地域的人権文書は、裁判所の手続上、個人に直接的役割を許す傾向にある(35)。 個人は、環境保護に関しても重要な役割を有しており(36) 、世界裁判所が欧州人権裁判所の実行に追随しないのは残念である。
 国際文書と同様に学説も、原住民と環境との間の強い牽連性を認識しつつある。 独立国における原住民に関するILO条約第一六九号(37)、環境と開発に関するリオ宣言(38)、及び、生物多様性に関する条約 (39)は、この関連性につい[96頁]て特別に言及している(40)。 とはいえ、世界裁判所への直接の請求に関して原住民が手続的に排除されているため、原住民はその権利の主張を実効的に行うことができない。 また、環境運動を行ってきた非政府機関及び国際機関の多大な貢献についても十分に評価すべきである。 しかし、現時点において、これらの機関が拘束力を有する国際司法裁判所の裁判管轄権に依拠することは認められない(41)
 三四条一項の制限的性格は、批判の的とされてきた。 国際司法裁判所の前所長であるRobert Jennings卿は、これを国際法の発展から国際司法裁判所を遮断し、第一次世界大戦後に確立された枠組みに国際司法裁判所の偉大な能力を封じ込め続けている要因であると考えた(42)。 また、これは、国際司法裁判所が、地球規模での正義の実現のための主たる司法機関であるとの主張をも損なっている。 Jennings卿の以下の指摘は、特に的を射ている。 すなわち、「見事に孤立して存在している裁判所が、他の裁判所と公式な関連性を有しないため、他の裁判所との関連で真に最高裁判所としての地位にないことを考慮すれば、国際連合の主たる司法機関が国際社会の最高裁判所であることを保障するために何を行い得るかは、深く検討すべき問題である。 ……三四条一項の考えは、国際社会において国際機関が役割を果たすのは極めて例外的なものであるという思考であって、しかも政府間機関さえも国際社会の最高裁判所に係属する訴訟事件の当事者になり得ないというものである(43)」。
 強制的管轄権の欠如は、地球環境問題の紛争解決のための司法制度として国際司法裁判所を想定することの不適切さをも浮き彫りにする。 世界裁判所への提訴という制裁なしに、天然資源及び環境を開発できるという国家の権利を伴う、国家主権の概念を基盤とする国際法の形成は残念である。 また、環境問題という地球規模での脅威にもかかわらず、普遍的な管轄権を行使し得る司法機関が存在しないことも、驚嘆すべきものである。 環境事件のための国際裁判所の創設を強く主張しているPostiglione裁判官は、この事実を嘆き、次のように述べている。[97頁]すなわち、「現時点において、すべての国は、事実上、ハーグで国際司法裁判所に服するかどうか又は仲裁に服するかどうかにつき、自ら決定する権利を有する。 この客観的な条件が、国際環境法の執行に対する重大な障害であると考えなければならない (44)」。
 国家が定める政治的状況いかんによって、環境問題への関心は重視又は軽視され得る。 他方で、多くの場合において、環境への脅威は、国家自体に起因するものである。 また、国際公法における既存の紛争解決手続は、正に対決的な状況で採用される。 すなわち、訴えの利益は、「被害」 国に認められるのである。 環境問題の重要性にもかかわらず、国家は、一定の利益が害されない限り、提訴することに消極的であるかもしれない。 このような国家の努力不足は、オゾン層の破壊や地球規模での気候などの人類共通の関心分野ではあるが、特定の国家の管轄権の範囲内ない分野における環境破壊の場合に、とくに不十分なものとなっている。
 特定の国家だけに関係するのではなく国際社会全体に関する法益の国際的保護の欠缺につき、国際司法裁判所は、バルセロナ・トラクション事件(45)において、国際社会全体の法益 (rights erga omnes) という概念を導入した(46)。 国際社会全体の法益という概念は、国際刑事法の領域へ拡張・移入され、この事項に関する注釈書は、今や国家の刑事責任を問い得る例として環境破壊を引用している。 もっとも、国家の刑事責任については、国際法上、論争が続いている問題である(47)。 刑事責任を問い得る活動の明確な例は、個人によって実行された大量虐殺行為及び人道に対する犯罪であるが、これは安全保障理事会が設立したルワンダ及び旧ユーゴスラビアに関する特別法廷に基づいている(48)。 環境との関係では、チェルノブイリからの放射線物質の放出などの重大な事故や大気圏核実験のいずれも、旧ソ連やフランス、中国に対して、国際犯罪の実行であるとの国際的な請求をもたらさなかった(49)。  この点、Patricia Birnieの次の指摘は適切である。 すなわち、「国家は、通常の刑事という意味において処罰され[98頁]得ないのであって、それゆえ、刑事責任という概念は、道義的非難の水準を高め得るものであって、共通財産への影響を強調し、かつ、国際社会の非難を正当化する点を別とすれば、当該行為に対する制裁を追加し得るものではない 」(50)。      

     環境紛争の十分な解決媒体としての裁判所への依拠の適切性

 環境侵害に対して提訴する手続上の権利及び訴えの利益という問題は、極めて技術的なものと考えられ得る。 しかし、この問題を一層分析的に検討すれば、意外な状況が浮き彫りになる。 全人類にとっての環境の価値にもかかわらず、世界的レベルで環境上の権利を実現しようとする場合、極めて困難な問題が存在する。 同様に、多くの領域紛争において、当事者間の根本的な争いは、当該領域の環境と天然資源の利用・開発の権利を取得することにある。 この点は、湾岸戦争 (一九九〇年― 一九九一年 )(51) などの国際紛争の分析や、南西アフリカ事件(52)、西サハラ事件(53)、ナウル事件(54) 及び東チモール事件などにおける世界裁判所の先例を通じて、実証される。 環境及び自然は、多くの国際紛争における沈黙の犠牲者であるが、細りつつある天然資源は、国際社会における国家間の緊張関係を増大させ、紛争の更なる刺激を与えている(55)
 個人、人民及び非政府機関を含む一層広範囲の構成員が、環境侵害に対して提訴可能とする国際環境裁判所の設立を要求する主張が存在する。 この方法論は、現裁判所に対する幻滅の結果であるとともに、環境法益の保護者として、その真の受益者でない国家が信頼に足り得るものではないという理由に基づくものである。 この点、Postiglione 判事は、次のように述べている。 すなわち、「……環境は、国家の権利ではなく人民の権利である。[99頁] これは、ハーグの国際司法裁判所によって、実効的に保護され得ないものである。 なぜなら、環境の権利は、潜在的な人権として、あるいは、実際上、経済的制度と結びついている国家及びその機関に対する真の抵抗勢力として、位置づけられるからである」。
 環境と人権との間の関連性が強化されつつあるという認識は、実証的なものである(56)。 環境権は、国際文書によって内実化されつつある。 条約に基づく団体、地域的機関及び人権団体は、徐々に、人権という観点から環境を見つめつつある。 この問題に起因する重大な疑問は、現在の裁判所を、環境紛争解決にとって十分かつ実効的な媒体として扱うことが、総体的に適切かどうかに関するものである。 予想される回答は、消極的なものであろう。
 国際的な環境保護の包括的な体制が確実に創設され得ると判断する前に、解明すべき多くの曖昧な点が存在する。 一般国際法は、依然として根本的な訓辞と格闘し続けている。 国家責任の境界線を引くためには、環境問題との関連で、その概念を再定義することが必要である(57)。 これら未解決の多くの問題に加えて、国際環境訴訟に固有の特徴は、さらなる問題を提起する。 国家の責任の性格及び範囲、因果関係、環境侵害の証拠を提示することの困難さ、天然資源の開発における平等と公正の問題はすべて、国際裁判所に対して困難な問題を示す。
 さらに、開発、国際経済秩序、人口増大、民主化及び人権などの問題と独立して環境問題を分析するような国際法体制は、不十分であって、結局は実効的なものとはならないであろう。 ナウル事件(58)が確認したように、環境問題も、天然資源に対する主権及び自決権の問題に関する論争と、かなり強い相関関係を有するのである。 このような複雑で錯綜した要因が相まって、現代及び将来の人類社会にとって重大な問題を提起しているのである(59)。 このような状況において、先進工業国側による途上国支援という純粋な努力を伴う、「公平」 及び 「公正」 や 「歴史的不正義」 などの観念に注意が払われなければならない。 環境破壊という地球規模の挑戦に対しては、地球規[100頁]模での協力、合意及び理解が必要である。 国際司法裁判所への依拠は、環境問題解決のための主たる方法と考えることはできないように思われる。      

     結 語

 環境問題は、ますます国際的な関心事項となりつつある。 国際法の典型的な見解は、その変数についての制約によって歪められている。 環境破壊の問題を無視し、あるいは、環境破壊に関して複雑な問題が存在しないと考えることは、問題を悪化させるだけである。 むしろ、国際制度についての思考及び方法論を変える必要性が存在するのであって、これに関する世界裁判所の役割は、極めて有用となり得る。 本稿は、環境紛争解決のために国際司法裁判所を利用することの困難性を浮き彫りにした。 この関心の源は、国際司法裁判所規程が課している管轄権上の制約である。 また、国家がその主権の重要な要素の放棄を強制され得ないこと、及び、国際司法裁判所への出頭を強制され得ないことも、同様である。
 しかしながら、国際法秩序は、真空において機能するわけではなく、主要な国際法主体である諸国家の権能及び協力に依存している。 国際法の発展の現段階において、個人、団体が利用できるよう、あるいは、訴訟手続における強制的管轄権を保障するよう、国際司法裁判所規程を改正する提案は野心的である。 環境に関する別の国際裁判所を創設することも魅力的ではあるが、現在の政治的環境下では、この考えは現実的なものではない。 たしかに、国際刑事裁判所の設立に向けた五〇年のマラソンが指針となるとしても、そこでの演習は、国家の側での合意達成が困難であることを十分に証明しているように思われる。 筆者の提案は、より注意深くかつ保守的な[101頁]方法である。 筆者の提案は、少数民族高等弁務官 (一九九二年七月創設 ) (60)及び人権高等弁務官 (一九九三年一二月創設 )(61) という制度概念に基づく 「環境高等弁務官」 の創設の可能性を含むものである。 高等弁務官は、国家間の争訟において斡旋人及び調停人の役割を果たすであろうし、また、「人類の公共財」 に関して監督的立場を採用するであろう。 さらに、高等弁務官は、環境事件に関して国際司法裁判所の勧告的意見を求める任務を有するであろうし、また、国家に対する訴訟手続を提起する限定的な利益をも有するであろう。 国際司法裁判所規程の変更を行わなければならないとしても、これは、主権国家が最終決定権を有し続ける国際共同体にとって受け容れ可能な妥協であり得るように思われる。

   (英文タイトル)
Javaid Rehman, "The Access to International Court of Justice in Resolving Environmental Disputes: Some Reflections."
Translation by Naoshi TAKASUGI