[71頁] 論  説

 

 わが国における校則訴訟と子どもの人権

大 島 佳代子

 

目  次

はじめに

第一章 校則訴訟の概要

第二章 校則に対する無効確認訴訟および予防訴訟の許容性

第三章 校則制定権の根拠

第四章 身だしなみの自由とバイク等の運転の自由の憲法上の権利性

おわりに

 

 

はじめに          目次に戻る

 昭和の終わりから平成にかけ、生徒の生活指導とかかわる校則またはその違背を理由とする懲戒措置の適法性が争われた判決が続けて出された。近時、これらの訴訟に、最高裁判決や確定判決が出され、一応の終息がみられたことを機に、これら校則訴訟における問題点および残された課題について整理するのが本稿の目的である。

 わが国の校則訴訟は、校則により制限される自由に着目すると、髪型や服装といった身だしなみの自由が問題に[72頁]なったケースといわゆるバイク三ない原則(免許を取らない、買わない、乗らない)が問題となったケースに大別することができる。学校別では、公立中学校の校則が四件、公立高校の校則が一件、私立高校の校則が三件、各々問題となっている。本稿では、必要のある限りで私立高校のケースについても触れるが、検討の主たる対象は公立学校の校則であることを予め断っておく。

 次に、本稿で問題とする校則について若干の説明を加える。一口に校則といっても、生徒指導上の規定だけでなく、教育課程や成績評価、進級・卒業などにかかわる教務規定、懲戒処分についての規定、体育館・図書館などの施設利用規定など多様なきまりが含まれる(1)うえに、内容的にも、校内生活の規則、校外生活の規則、望ましい生徒像を掲げての訓示的なもの、校則に反した場合の制裁、罰則等と多様である(2)。従って、名宛人や内容の異なるこれら校則の法的性質を一律に論じることには無理があろう。そこで、本稿では、実際に裁判で問題となったような生徒の行動を直接規制する生活指導上のきまりを検討の対象とする。

第一章 校則訴訟の概要          目次に戻る

〈身だしなみの自由〉

 @熊本男子中学生丸刈り事件     熊本地判 昭和六〇・一一・一三  判時一一七四―四八(確定)

 A京都女子中学生標準服着用義務事件 京都地判 昭和六一・七・一〇   判例自治三一―五(確定)

 B千葉女子中学生制服代金請求事件  千葉地判 平成元・三・一三    判時一三三一―六三

                   東京高判 平成元・七・一九    判時一三三一―六一

                   最判   平成三・九・三     判例集未登載

[73頁] C修徳高校パーマ事件       東京地判 平成三・六・二一   判時一三八八―三

                  東京高判 平成四・一〇・三〇  判時一四四三―三〇

                  最判   平成八・七・一八   判時一五九九―五三 

 D小野中学丸刈り校則事件(A)  神戸地判 平成六・四・二七   判タ八六八―一五九 

                  大阪高判 平成六・一一・二九  判例集未登載(3)

                  最判   平成八・二・二二   判時一五六〇―七二 

  小野中学丸刈り校則事件(B)  神戸地判 平成七・三・六    判例自治一四二―四五

                  大阪高判 平成七・六・二八   判例集未登載

                  最判   平成八・二・二二   判例集未登載

〈バイク規制〉

 E東京学館高校バイク事件     東京地判 昭和六二・一〇・三〇 判時一二六六―八一

                  東京高判 平成元・三・一    判例集未登載

                  最判   平成三・九・三    判時一四〇一―五六

 F大方商業高校バイク謹慎事件   高知地判 昭和六三・六・六   判時一二九五―五〇

                  高松高判 平成二・二・一九   判時一三六二―四四(確定)

 G修徳高校バイク事件       東京地判 平成三・五・二七   判時一三八七―二五

                  東京高判 平成四・三・一九   判時一四一七―四〇(確定)

                               *ゴシックは公立のケースである。

 

[74頁]   第一節 身だしなみに関する校則訴訟の概要

 身だしなみの自由が問題となった事例として、まずは、熊本男子中学生丸刈り事件(4)が挙げられる。本件では、町立中学校に在籍していた男子生徒とその両親が原告となり、同中学校校長を被告として、同校長が制定・公布した同校服装規定のうち男子の髪型について「丸刈、長髪禁止」と規定した部分(以下、本件校則)の無効確認並びに無効であることの周知手続請求、校則違反を理由とする不利益処分の禁止を求める請求を行うと同時に、町を被告とした損害賠償請求を行った。これに対し、熊本地裁は、本件校則の無効確認並びに無効であることの周知手続(5)請求、不利益処分の禁止を求める請求のいずれも不適法であるとして、訴えを却下している。また、損害賠償請求に際し、原告は、本件校則が憲法一四条、三一条、二一条に違反する旨主張したが、判決はいずれの主張も退けた。

 最近では、兵庫県小野市に住む小学生が将来進学する予定の公立中学校の校則(男子生徒に対する丸刈り、外出時の制服着用を定めている)の無効確認および取消を求めた小野中学丸刈り校則事件(A)(6)がある。一審の神戸地裁は、校則制定行為の処分性、原告適格ないし法律上の利益を否定し、訴えを却下した。二審の大阪高裁は、本件生徒心得は、抗告訴訟の対象となるべき行政庁の処分その他の公権力の行使に当たらないとして、控訴を棄却している。また、最高裁も、原審の判断は正当として是認できると説示し上告を棄却した。また、原告らは、別訴(小野中学丸刈り校則事件(B))において、同中学に進学した場合に丸刈りや私生活での制服着用を強制・指導してはならないとの不作為、本件校則の違憲・違法であることの確認、原告らが右校則に従う義務がないことの確認を求めている。これに対し、第一審(神戸地裁)および二審(大阪高裁)は、いずれの訴えも不適法であるとして却下し、最高裁も上告を棄却した(7)

[75頁] 修徳高校パーマ事件(8)では、原告が学校に無断で普通自動車運転免許を取得し、その罰としての早朝登校期間中に同校の校則に違反してパーマをかけたことなどを理由として、自主退学を勧告され、退学願を提出した結果、同校生徒の地位を失ったことにつき、右勧告の適否が問題となった。原告は、本件勧告が違法かつ無効であるとして、主位的に卒業認定と卒業証書の授与、予備的に生徒たる地位の確認を求め、併せて、不法行為等に基づく損害賠償を請求した。一審(東京地裁)、二審(東京高裁)は、パーマ禁止および運転免許取得制限のいずれについても校則制定の必要性を否定できず、また、原告は入学の際に各校則の存在を認識していたことから、各校則は髪型決定の自由および運転免許取得の自由を不当に制限するものとはいえず無効ということはできないとして、原告の請求を退け、最高裁も、原審の判断を是認し上告を棄却した。

 他方、いわゆる制服(標準服)に関しては、京都市の公立中学校の生徒が同校の生徒心得の無効および標準服着用義務の不存在の確認を求めた京都女子中学生標準服着用義務事件がある。一審の京都地裁は、前者については生徒心得が抗告訴訟の対象となる処分ではないから不適法であるとし、後者については予防確認訴訟と解し、原告は法律上の利益を有しないから訴えは不適法であるとした。

 また、千葉女子中学生制服代金請求事件(9)は、千葉県の公立中学校の校長が生徒心得に制服着用を定め、在学生徒にこれを遵守するよう指導したことが、同校に入学した原告の子に対する制服強制に当たり、憲法一三条、一九条、二一条、二六条、三一条に違反すると主張して、制服購入のために要した費用に相当する金額につき損害賠償を求めたものである。一審の千葉地裁、二審の東京高裁はいずれも憲法論には立ち入らずに、本件制服の指定は社会的合理性のある範囲内で定められており、その具体的な運用に当たっても、仮に制服を着用しない生徒があっても、制裁的な措置をとるようなことはなされていないことなどから学校長の裁量の範囲を逸脱するものではないと判示した。

 

[76頁]   第二節 バイク規制に関する校則訴訟の概要

 東京学館高校バイク事件10では、同校の生徒であった原告が自動二輪車免許を取得しバイクを購入乗車していたが、自分のバイクを他人に貸与したところ、これを転借した者が無免許運転のうえ事故を起こし、更に、この事実を学校に秘匿していたのが発覚したため、自主退学勧告を受けて自主退学したものである。原告は、いわゆる三ない原則違反等を根拠とする退学は理由がないとして、学校に対し損害賠償を請求した。これに対し、一審(千葉地裁)、二審(東京高裁)ともに、三ない原則は社会通念上著しく不合理であるとはいえず、本件自主退学勧告もやむを得ないところであって違法とはいえないと判示した。また、最高裁も原審の判断は正当であるとして上告を棄却した。

 大方商業高校バイク謹慎事件11では、県立商業高校に在学していた原告が、学校の許可を受けずに原動機付自転車の運転免許を取得したところ、それを理由に、同校校長から無期家庭謹慎の措置を受けた(二週間後に解除)。原告は同措置が違法であるとして、県を被告に慰謝料を請求した。一審の高知地裁は、本件校則の規定は校長の裁量権の濫用もなく、学校の設置目的と合理的に関連性を有するものであり、また、本件家庭謹慎の措置も裁量権を逸脱した違法なものとはいえないと判示した。二審の高松高裁は、原審の判断をほぼ全面的に維持して控訴を棄却した。

 修徳高校バイク事件12では、校則で禁止されていたにもかかわらず、無届で運転免許を取得しバイクに乗車していたことを理由に退学処分を受けた原告が、本件校則が合理性を欠き、本件退学処分は校長の裁量権を逸脱するものであるとして損害賠償を請求した。これに対し、一審(東京地裁)、二審(東京高裁)ともに、本件校則は社会通念上十分合理性を有するとしながら、本件退学処分は校長に認められた裁量の範囲を超えた違法なものであると判示した。

 

 

[77頁]第二章 校則に対する無効確認訴訟および予防訴訟の許容性          目次に戻る

 第一章第一節でみたように、身だしなみの自由を規制する校則の適法性が争われる場合、そこでは主として公立中学校の校則が問題となっていたが、このこととの関連で次のような問題点を指摘することができる。

 現行法上、公立中学校においては、退学や停学といった懲戒処分を行うことができない。すなわち、学校教育法一一条は「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる」と規定し、これを受けた同法施行規則一三条二項は懲戒処分を退学・停学・訓告の三種に限定している。そのうえで、同規則同条三項は公立の小学校、中学校(中高一貫教育を施すものを除く)に対する退学処分を、同規則同条四項は義務教育中の児童、生徒に対する停学処分を認めていない。従って、校則違反を理由とした退学処分や停学処分の取消を求める請求において当該校則の合憲性・合理性を争うということができず(もっとも、理論的には、訓告処分の取消に際し、当該校則の合憲性・合理性を争うことは可能である13)、原告は損害賠償を求める他、校則の無効確認であるとか、校則に従わなかったことによって将来被りうる不利益を予防する訴訟を提起することになる。そこで、次に述べるような訴訟要件の問題が生じてくるのである。

   第一節 裁判例の考え方

(一)無効確認訴訟の許容性

 校則に対する無効確認訴訟の提起が可能かどうかは、校則またはその制定行為が抗告訴訟の対象となる処分に該当する否かにかかってくる。

[78頁] 校則の処分性については、昭和五九年の福岡高裁管内裁判官会同で協議され、次のような考え方が提示されている14。すなわち、(一)校則を定めた時点では、その対象は特定しているので、一般処分とはいえず行政処分である、(二)男子生徒の長髪禁止については、生徒の人格的自由にもかかわるものであることを考えると、単に学校内部の問題にとどまるとはいいきれず、司法審査の対象となる行政処分である、(三)通常、髪型規制は訓示規定にすぎないが、違反に対する制裁規定まで置いている場合などのように、校則の規定の仕方次第では、男子生徒に法的義務を課していると解し得る場合がある。しかし、その場合であっても、校則が、当該学校へ入学してくる不特定多数の男子生徒に対して一般的、抽象的な法規範を定立することをその内容とするにすぎないから、校則の制定は行政処分に当たらない。

 実際の裁判例においては、京都女子中学生標準服着用義務事件で、一審判決は理由づけのないまま、「生徒心得が抗告訴訟の対象となる処分と解することはできないから」無効確認の訴えは不適法であるとしている。小野中学丸刈り校則事件(A)では、一審、二審、最高裁判決のいずれもが本件生徒心得の処分性を否定した。最判は「これらの定めは、生徒の守るべき一般的な心得を示すにとどまり、それ以上に、個々の生徒に対する具体的な権利義務を形成するなどの法的効果を生ずるものではないとした原審の判断は、首肯するに足りる」とし、本件生徒心得に男子丸刈り・外出時の制服着用の定めを置く行為は、抗告訴訟の対象となる処分に当たらないと判示している。前記(三)説に近い見解といえよう。また、熊本男子中学生丸刈り事件の一審判決は、校則の処分性について説示しないまま15、訴訟係属中に中学を卒業した原告には本件校則の無効確認を求める法律上の利益はないとした。このように、無効確認が請求されたほぼすべての判決で、校則の処分性が明示的に否定されている。

 

[79頁](二)予防訴訟の許容性

 次に、予防訴訟については、熊本男子中学生丸刈り事件の一審判決が、本件校則違反を理由とする不利益処分の禁止を求める訴えは、行政庁に対して不作為を求めるものであるとして、以下のように、訴えの利益が認められる場合を提示した。すなわち、「(一)行政庁が当該処分をなすべきこと又はなすべからざることについて法律上羈束されており、行政庁に自由裁量の余地が全く残されていないために第一次的な判断権を行政庁に留保することが必らずしも重要ではないと認められ、しかも(二)事前審査を認めないことによる損害が大きく、事前の救済の必要が顕著であり、(三)他に適切な救済方法がない等、事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情がある場合でない限り、訴の利益を欠き不適法」と解すべきである。京都女子中学生標準服着用義務事件の一審判決は、「原告の主張する標準服着用義務は、その義務自体が直接に強制されるような義務ではな」く、「本件標準服着用義務不存在確認の訴えの趣旨は、原告が任意にこれを着用しないときに、何らかの不利益が生ずるのを防止するために、右義務の存否を事前に確定しておくところにある」と述べ、本訴えが予防的確認訴訟であると解している。そのうえで、最高裁長野勤評判決16を引用し、「具体的、現実的な争訟の解決を目的とする現行訴訟制度の下では、その義務の履行によって侵害を受ける権利の性質とその侵害の程度、違反に対する制裁としての不利益処分の確実性およびその内容または性質等に照らし、不利益処分を受けてからこれに関する訴訟の中で事後的に義務の存否を争ったのでは回復しがたい重大な損害を被るおそれがある等、事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情がある場合でなければ」、法律上の利益は認められないとした。また、小野中学丸刈り校則事件(B)では、丸刈り、外出時の制服着用を定める規定に従う義務のないことの確認が求められたが、一審判決は、長野勤評最高裁判決が提示した要件の下、義務の存否の確定を求める法律上の利益はないと判示した。

 

[80頁]   第二節 学説と検討

 議論の便宜上、まず、予防訴訟の許容性について検討する。予防訴訟の許容性については補充説17と独立説18が存するが、事後的な抗告訴訟では救済が得られない場合に限り補充的に認めるものとする補充説が学説の多数説である19。前記判決はいずれも補充説に立つものといえるが、具体的な要件において若干の違いがみられた。

 熊本丸刈り事件一審判決が提示する(一)の要件については、校則違反を理由とする不利益処分の予防訴訟の要件としては厳しすぎるといえよう。というのも、校則に従わなかったことで将来被りうる不利益処分としてまず考えられるのは校則違反を理由とする懲戒処分であるが、生徒に対する懲戒処分が自由裁量行為である以上、この要件は常に充足することができないことになるからである。

 京都標準服着用義務事件一審判決および小野中学丸刈り校則事件(B)一審判決は、最高裁が長野勤評判決で提示した要件を踏襲しているが、「事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情」という要件が厳格すぎるとして、事前の救済を認めないと救済が相当程度に困難になる場合に緩和すべきである(ゆるやかな補充説)20との批判がみられるところである。同説は、校則の存在により被りうる種々の不利益を避けるために、校則に従わなくともたいした不利益がないと予想されるような場合を除いて「事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情がある場合」に該当し、丸刈り・校外制服着用の義務のないことの事前確認を求める訴えが許容されるべきである21とする。しかしながら、公立中学校において、退学や停学といった懲戒処分が行えない現状に鑑みれば、校則違反を理由とする法律上の懲戒処分がなされる蓋然性は極めて低く、要件が緩和されたからといって予防訴訟が認められる余地が広くなるかは疑問があろう。

[81頁] これに対し、現在の校則の多くは法的効果を意識して整備された規定ではなく、懲戒処分との関連においても、校則違反の事実は、生徒の生活態度全般を判断する際の一考慮要素に過ぎない場合も多いことから、具体的事実関係を前提とする司法審査が望ましく、原則的には、個別的処分を争訟の対象とすべきである22として予防訴訟に消極的な立場をとる学説もある。個別的な処分が出ない(出せない)状況を踏まえれば、原則的には個別的処分を争訟の対象とすべきであるとの主張は、説得力に乏しいものと思われる。もっとも、この説の論者は、法律上の争訟となる具体的行為については、事実上の懲戒や嫌がらせについても、抗告訴訟、あるいは不法行為上の損害賠償請求や差止請求の対象とする可能性が検討されるべきである23としている。しかし、この点についても、事実上の懲戒を抗告訴訟の対象にすることや同級生等からの嫌がらせを訴訟で争わせることが果たして実効的救済につながるのか疑問は多い。

 他方、無効確認訴訟の許容性については、校則の処分性を認め抗告訴訟の対象とすることに積極的な見解が示されている。すなわち、「校則はあとで具体的に権利義務の範囲を確定する行為を予定する一般的抽象的な法規範ではなく、相手は多数であるが、特定の人の権利義務をすでにそれ自体で具体的に確定する命令」であるとする。つまり、「先生が長髪の生徒に対して丸刈りにして来いと命令すれば(これに違反した場合の強制丸刈りを待たず)すでに個人の市民的な人格的自由を侵害する」ものであるし、長髪の生徒が丸刈りにしなくてはならない義務は校則に続く処分を待たずにすでに校則の存在により確定しているから、校則は処分として、抗告訴訟の対象と解するのが合理的であるというのである24。この説が、積極的に校則の処分性を認め抗告訴訟の対象とすべきであると主張する理由として、(一)事後的な損害賠償請求訴訟を認めるだけでは、高い可能性のある人権侵害を予防できず不十分である上、丸刈り強制による損害は多様で賠償額を適切に算定できないから事後的な訴訟としても機能しな[82頁]いこと、(二)中学校の校則違反に対しては、具体的な行政処分(懲戒、進級拒否など)がなされなくとも、事実上の制裁(例えば、指導と称する事実上の強制、嫌がらせ、仲間のいじめ、内申書の不利益記載など)がなされる可能性が高く、そのような事実上の制裁のそれぞれについて争う方法がないから、その根本にある校則を除去するしかないこと、(三)校則の処分性を認めなければ、将来被るであろう不利益を回避するために予防的差止め訴訟を選択しなければならないが、その実体はほとんど変わらないのであるから、このような訴訟選択のリスクを原告に負わせ、実効的な救済がなされないのは不合理であることの三点が挙げられている25

 私見としては、ある校則の規定が生徒の権利を侵害するような場合には、その校則に従わなかったことを理由とする懲戒処分(または事実上の懲戒や嫌がらせ)を訴訟の対象としたり、将来被りうる不利益を予防するという争い方をするよりは、校則の当該部分に処分性を認め、当該校則規定の合憲性・合理性を直接問題とする方が、紛争の処理として適切だと考える。

 

第三章 校則制定権の根拠          目次に戻る

 第二章でみたように、現在の裁判実務においては、訴訟要件の判断が厳格で校則問題を争う訴訟上のルートが限定され、実質的な判断を行った事例が少ないといえる。とはいえ、校則の合憲性・合理性の問題が捨象されるわけではない。男子生徒の髪型を丸刈りに強制したり、道路交通法上許されている自動二輪の免許の取得(道交法八八条一項一号)を禁止する校則を、学校側はいかなる根拠に基づいて制定できるのかといった問題は依然残されているのである。この問題については、国公立学校の生徒と学校設置者との在学関係をいかに捉えるかが前提とされ、[83頁]次にみるような議論がなされてきたことは周知のところである。

   第一節 国公立学校の在学関係

 国公立学校の在学関係については、従来より、特別権力関係説、部分社会論、在学関係説などが主張されてきた26

(a)特別権力関係説

 特別権力関係とは、公法上の特別の原因に基き、公法上の特定の目的に必要な限度において、包括的に一方が他方を支配し、他方がこれに服従すべきことを内容とする関係を言う27。この特別権力関係説によると、@国公立学校の在学関係は学校当局による特別に強い公権力行使がなされうる権力関係であり、A合理的限界内においては、学校当局の特別権力が法治主義および人権保障原理の拘束を免れて、法律の個別的根拠規定なしに学校当局による学生生徒等にたいする命令や特別な権利制限が可能であり、B在学関係内部における学校当局の権力行使については訴訟が許されず、退学処分などの対外行為についても広汎な自由裁量によって司法審査が制限されることになる28

 従って、この説によれば、校則は学校という営造物主体による営造物利用関係における命令であって、具体的な法律の根拠に基づくことなく、教育という目的を達成するのに必要かつ合理的な範囲内で発することができる29と解され、その法的性質は営造物管理規則としての行政規則であるとされる。

 しかしながら、周知の通り、一九六〇年代以降、行政法学において特別権力関係論一般に対して批判が強まり30、現在では支持を失っている。

(b)部分社会論

 最高裁も、富山大学単位不認定等事件判決31において次のように述べ、特別権力関係論を採用していない。すなわ[84頁]ち、「大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究とを目的とする教育研究施設であって、その設置目的を達成するために必要な諸事項については、法令に格別の規定がない場合でも、学則等によりこれを規定し、実施することができる自律的、包括的な権能を有し、一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成しているのであるから、……一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題は右司法審査の対象から除かれるべきものである」とする。

 しかしながら、このような部分社会論に対しては、一般市民社会に対する「部分社会」として自治権ないし自律権が認められなければならない根拠が明らかでないこと、「部分社会」の法にかかわる紛争が何故ゆえ「法律上の争訟」とならないのかといった点に批判がみられるところである32。裁判例において、退学処分のみならず、家庭謹慎措置33、原級留置34といった学校内部行為についても司法審査の対象とされていることから、部分社会論がかなり通用しなくなっているとの指摘もある35。加えて、部分社会論は司法審査の限界との関連の議論であり、本論から校則制定権の根拠が導き出されるわけではない。

(c)在学契約関係説

 在学契約関係説とは、国公立学校の在学関係は、私学の在学関係と本質を同じくする在学契約関係であるとする36(契約の性格づけの相違により、私法上の附合契約説、学生身分取得契約説、私法上の無名契約説、教育法上の特殊契約説などに分けられる37)。兼子教授によれば、校則は、父母や生徒の全体が大筋で認めているという学校自治的な「慣習法」であり、子ども・生徒に対して直接処罰につながるような強制力をもつものでなく、学校教師による教育指導の根拠と基準であるとされる38

 しかし、この説に対しては、現在の小中学校の義務就学法制からして国公立学校の在学関係を契約関係と捉える[85頁]ことに疑問が出されている。つまり、学齢児童・生徒の保護者は学校を指定された39うえで、罰則のもとに就学させることが義務づけられ40、就学義務の猶予・免除も教育委員会の権限事項41である法制を、契約という観念では捉えられないというのである42。また、本説を「公立の小中学校の生徒も無権利者ではない、彼らは学習権を中心とした人権を享有している人格の保持者である、ということを象徴的に表現している」理念的なものと捉え、校則についての根拠や主体の問題も在学契約関係から法技術的に一義的解答を導き出すことはできないのではないかとの指摘もみられる43

   第二節 裁判例にみる校則制定権の根拠

 裁判例においても、校則制定権の根拠について見解の一致をみていない。例えば、熊本男子中学生丸刈り事件の一審判決は、「中学校長は、教育の実現のため、生徒を規律する校則を定める包括的権能を有するが、教育は人格の完成をめざすものであるから、右校則の中には、教科の学習に関するものだけでなく、生徒の服装等いわば生徒のしつけに関するものも含まれる」とし、千葉女子中学生制服代金請求事件の二審判決は、「学校長が、教育目的を達成するための一助として右のような未成熟な中学校在学の生徒のために、その広い裁量のもとに、教育的観点からする教育上ないしは指導上の指針あるいはあるべき行動の基準等について生徒心得等を定めてこれを明らかにすることは、それが社会の通念に照らして著しく合理性を欠くなど不適当、不適正なものでない限り、何ら違法ではなく、また、不当なことでもない」と判示している。いずれも、特別権力関係論や在学契約論によらず、教育的見地から校則を学校当局が定め得ることを当然の前提にしているようである。

 これに対し、大方商業高校バイク謹慎事件一審判決は、「高等学校は、生徒の教育を目的とする公共的な施設(営[86頁]造物)であるから、その校長は、法令上の根拠がなくても、生徒の生徒指導、学校施設の利用関係など学校の設置目的を達成するために必要な事項を、行政立法たる営造物規則(内規)として、校則、生徒心得等の形式で制定し、これによって在学する生徒を規律する包括的権能を有する」としている。特別権力関係という表現こそ用いていないが、考え方の基本には特別権力関係論的発想があるといえよう。更に、小野中学丸刈り校則事件(A)一審判決は、「学校は、国・公・私立を問わず、生徒の教育を目的とする教育施設であって、その設置目的を達成するために必要な事項については、法令に格別の規定がない場合でも校則等によりこれを規定し実施することのできる自律的、包括的な権能を有し、校則等は、学校という特殊な部分社会における自律的な法規範としての性格を有している」と述べていることから、富山大学単位不認定等事件最高裁判決の見解を踏襲していることは明らかである。

   第三節 校則制定権の範囲

 以上みてきたように、国公立学校の校則制定権の根拠をめぐっては、特別権力関係論や部分社会論、在学契約論などの議論がみられたが、これらはいずれも学校関係を法治主義の原則が緩和される特殊な法律関係と考えている点で共通するものである。しかし近年、このような考え方に対して、「学校関係を概括的に法の支配の原則の例外と規定すべきではなく、個別的問題ごとに、教育の特殊性に対する配慮が必要な範囲で、右原則に最小限度の緩和がはかられるにとどまるものと解すべき」とし、校則制定の手続、範囲については、生徒の人権との関係で考えるべきとの主張が有力となってきている44(もっとも、この説の論者も、校則の中には人権の制約にかかわる規定も含まれるので、その制定についてついては法律上何らかの根拠をおくべきであるとしている45)。つまり、人権制限的な校則については、人権を制約するに値するだけの合理的理由46があるのかどうかを論じるべきだというのである47

[87頁] そこで次に、髪型や服装といった身だしなみの自由とバイク等の運転の自由の憲法上の権利性について検討することにする。

 

第四章 身だしなみの自由とバイク等の運転の自由の憲法上の権利性          目次に戻る

   第一節 裁判例にみる憲法上の権利性

(一)身だしなみの自由

 原告は身だしなみの自由に対する規制の違憲性を主張している48が、判決の中で実質的な判断がなされた事例は、熊本男子中学生丸刈り事件と修徳高校パーマ事件が挙げられるのみであり、いずれも髪型の自由が問題になったケースである。

 熊本男子中学生丸刈り事件において、原告は、本件校則が居住地および性別による差別にあたるとして憲法一四条に、頭髪という身体の一部について法定の手続によることなく切除を強制するものであるから三一条に、個人の感性、美的感覚あるいは思想の表現である髪型の自由を侵害するものであるから二一条に違反すると主張している。

 これに対し、一審の熊本地裁判決は、「原告らは、…校区制のため本件中学に通学したが、通学可能な地域に丸刈を強制していない中学校が三校存在するから、…居住地により差別的取扱いを受けていると主張するが、服装規定等校則は各中学校において独自に判断して定められるべきものであるから、それにより差別的取扱いを受けたとしても合理的な差別であって、憲法一四条に違反しない」とし、居住地による差別的取扱いの主張を退けた。また、[88頁]性差別の主張に対しては、「男性と女性とでは髪型について異なる慣習があり、いわゆる坊主刈については、男子にのみその習慣があることは公知の事実であるから、髪型につき男子生徒と女子生徒で異なる規定をおいたとしても、合理的な差別であって、憲法一四条には違反しない」とする。

 憲法三一条違反については、「原告らは、本件校則は頭髪という身体の一部について法定の手続によることなく切除を強制するものであるから、憲法三一条に違反すると主張するが、…本件校則には、本件校則に従わない場合に強制的に頭髪を切除する旨の規定はなく、かつ、本件校則に従わないからといって強制的に切除することは予定していなかったのであるから、右憲法違反の主張は前提を欠くものである」と判示した。

 そして、憲法二一条違反については、「原告らは、本件校則は、個人の感性、美的感覚あるいは思想の表現である髪型の自由を侵害するものであるから憲法二一条に違反すると主張するが、髪型が思想等の表現であるとは特殊な場合を除き、見ることはできず、特に中学生において髪型が思想等の表現であると見られる場合は極めて希有であるから、本件校則は、憲法二一条に違反しない」とした。

 修徳高校パーマ事件の原告は、髪は、身体の一部であって、その髪型は、美的価値意識と切り離せないものとして人格の象徴としての意味を有するのであるから、髪型の自由は人格権と直結した自己決定権の一内容として、憲法一三条により保障された基本的人権であり、その制約についての合憲性の判断は、規制目的の合理性・必要性及び規制手段が合理的で必要最小限であるかを、規制する側が立証責任を負うものであると主張している。

これに対し、一審の東京地裁判決は、「個人が頭髪について髪型を自由に決定しうる権利は、個人が一定の重要な私的事柄について、公権力から干渉されることなく自ら決定することができる権利の一内容として憲法一三条により保障されていると解される」と明言したうえで、右校則が特定の髪型を強制するものでない点で制約の度合いが[89頁]低いこと、原告が入学の際にパーマ禁止校則の存在を知っていたことから、髪型決定の自由の重要性を考慮しても、それを不当に制限するものでなく、また、在学関係設定の目的実現のために右校則を制定する必要性を否定できないことから、右校則を無効ということはできないと判示した。しかし、二審の東京高裁において、髪型を自由に決定しうる権利が憲法一三条によって保障される基本的人権であるという説示部分は訂正削除された。最高裁も、「憲法上のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体と個人との関係を規律するものであって、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものではない」として、修徳高校の本件校則について、それが直接憲法の基本権保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はないとした。

(二)バイク等の運転の自由

 大方商業高校バイク謹慎事件の控訴審49において、原告は国民がバイクを運転する自由は憲法一三条の規定により保障され、さらに原付免許を取得する権利は法律の明文規定で保障されていると主張している。これに対し、高松高裁は「憲法一三条が保障する国民の私生活における自由の一つとして、何人も原付免許取得をみだりに制限されないというべき」であり、高等学校の生徒は、「一般国民としての人権享受の主体である点では、高校生でない一六才以上の同年輩の国民と同じであり、この観点だけからすると、高校生の原付免許取得の自由を全面的に承認すべきである」と述べている。しかし、「高等学校程度の教育を受ける過程にある生徒に対する懲戒処分の一環として、生徒の原付免許取得の自由が制限禁止されても、その自由の制約と学校の設置目的との間に、合理的な関連性があると認められる限り、この制約は憲法一三条に違反するものではないと解すべきである」とした。

 東京学館高校バイク事件の原告は、三ない原則のうちバイク取得禁止はバイクの所有自体を禁止するものであるから、憲法二九条で保障された財産権の侵害に当たり、免許取得は憲法一三条の保障する幸福追求権の実現そのも[90頁]のであるから、合理的根拠なく三ない原則により免許取得を禁止するのは憲法に違背すると主張している。これに対し、一審の千葉地裁は、憲法第三章の基本権規定は本来国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではなく、権利の侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一定の限界を超える場合にのみ、民法一条、九○条や、不法行為に関する諸規定の適正な運用によって調整をはかるべきものであると判示した。また、最高裁も、憲法の自由権的基本権の保障規定は、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものではなく、本件自主退学勧告について、直接憲法に違反するかどうかを論ずる余地はないとした。

 修徳高校バイク事件の原告は、国民が運転免許を取得し、これを運転することは、憲法一三条が定める幸福追求権の一部である自己決定権の一内容として保障されていると主張している。これに対し、第一審の東京地裁は、憲法一三条の規定は、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではなく、また、私立学校が公共性を有するからといって、対公権力と同様の人権規律が適用されるものと解することこともできないとし、憲法違反を理由として本件退学処分の違法をいう原告の主張は前提を欠くと説示した。また、二審の東京高裁も、原判決を引用し、本件校則が憲法一三条に違反するとの一審原告の主張を斥けた。

 因みに、先の修徳高校パーマ事件では、パーマ禁止のみならず自動車運転免許取得の制限も問題となっていた。原告は、運転免許取得の自由は、髪型の自由との比較においては、人格権との結合の程度は弱いものと解される余地はあるが、自己にのみかかわる事柄については公権力の干渉を受けることなく自ら決定し得る権利(より広い意味での自己決定権)の一内容として、憲法一三条によって保障されていると主張した。これに対し、髪型の自由についてはその憲法上の権利性を明確に位置づけた一審判決も、普通自動車の運転免許取得および自動車の運転は「社[91頁]会生活上尊重されるべき法益」ということができるが、「個人の人格との結びつきは間接的なものにとどまる」と説示しているにすぎない。このことから、運転免許取得の自由を憲法上の人権として捉えているとはいえないものと思われる50

(三)まとめ

 熊本丸刈り事件において、原告は憲法一四条、二一条51、三一条違反を主張したが、判決はこれらの主張を一蹴しており、学説からも原告の憲法論52については多くの批判が寄せられている53。修徳高校パーマ事件では、一審の東京地裁判決が、髪型の自由は憲法一三条によって保障される自己決定権の一内容であると明言した。そのうえで、私学教育の自由(私立学校における独自の校風と教育方針)との調整をはかり、本件校則が髪型決定の自由を不当に制限するものではないと結論づけている。

 他方、バイク等に乗る自由については、大方商業バイク事件の第二審判決が、原付免許取得は憲法一三条が保障する国民の私生活における自由の一つであると判示した。これに対し、私学のケースである東京学館バイク事件、修徳バイク事件においては、バイク等に乗る自由の憲法上の権利性については、直接言及されることはなかった。また、修徳パーマ事件でも、普通自動車の免許取得および運転の自由の憲法上の権利性が問題となったが、一審判決が「社会生活上尊重されるべき法益」と判示したにとどまった。

 このように、下級審レベルにおいては、わずかながらも髪型の自由およびバイク等に乗る自由の憲法上の権利性が議論されているが、最高裁は、いずれの自由についてもいまだ判断していない。そこで、学説の状況をみてみることにする。

 

[92頁]   第二節 学説にみる憲法上の権利性

 学説において、髪型や服装といった身だしなみの自由やバイク等に乗る自由が論ぜられる場合、それは憲法一三条によって保障される自己決定権との関連で問題とされるが、自己決定権の内容をめぐっては、一般的自由説と人格的利益説との対立54がみられる。

 一般的自由説の代表的論者である戸波教授によれば、個人が自己に関することがらについて自ら決定する権利としての「自己決定の自由」が憲法一三条から導き出され、その一内容として、髪型の自由や服装の自由、またオートバイに乗る自由も含まれるとする55

 これに対し、人格的利益説として、佐藤説、芦部説、竹中説をみてみる。人格的利益説の代表的論者である佐藤幸治教授は、自己決定権(最狭義の人格的自律権)を人格的生存に不可欠なものに限定する。その内実は、@自己の生命、身体の処分にかかわる事柄、A家族の形成・維持にかかわる事柄、Bリプロダクションにかかわる事柄、Cその他の事柄に分けられる。服装・身なりはCに関連するが、「それ自体が正面きって人権かと問われると、肯定するのは困難」であるとしつつ、「こうした事柄にも、人格的自律を全うさせるために手段的に一定の憲法上の保護を及ぼす必要がある場合がある」とする56。この説によれば、髪型や服装の自由やバイク等に乗る自由は、憲法の保障する自己決定権には含まれない。もっとも、場合によっては手段的に憲法上の保護を及ぼす場合があり得るとされるが、必ずしもその意味するところは明確とはいえない5758

 芦部教授も人格的利益説に立ちつつ、自己決定権の内容として、@リプロダクションの自己決定権、A生命・身体の処分に関する自己決定権、Bライフ・スタイルの自己決定権を挙げている。そのうえで、髪型や服装などの身[93頁]じまいを通じて自己の個性を実現させ人格を形成する自由は、精神的に形成期にある青少年にとって成人と同じくらい重要な自由であるとする一方で、オートバイに乗る行為を端的に人権の行使と解することは難しいとする59。しかし、「髪型の自由は自己決定権に含まれ、オートバイに乗る自由は含まれない」とすることの説得力ある根拠が示されているとは必ずしもいえない60

 竹中教授は、基本的には人格的利益説に立ち、内容類型としては@生命・身体のあり方についての自己決定権、A親密な交わり・人的結合の自己決定権、B個人的な生活様式の自己決定権を挙げる61。そして、中学・高校生についての髪型・服装・バイク免許取得を規制する校則については、学校の権限外であるなどの法律解釈を導く根拠として「親の子どもを養教育する自由」という「親密な交わりの自己決定権」を援用する必要があるのではないかと指摘している62。この見解は、校則の問題は「憲法論によらずとも、学校の権限の問題として扱えば足りる63」とする学説への批判として提示されているものである。この点筆者も賛同するところであるが、「親の子どもを養教育する自由」は、日本国憲法との関係では、憲法一三条の自己決定権の問題とするよりは憲法二四条の問題64として論ずるべきではないかと考える。

 以上みてきたところによれば、一般的自由説によると、広い範囲の利益が自己決定権として憲法一三条の保護を受けることになる。他方、人格的利益説は、自己決定権の内容を、人格的自律ないし人格的生存にとって不可欠な重要事項を指すとして、価値的な限定を加える。本稿で問題とする髪型や服装の自由といった身だしなみの自由や、バイク等の運転の自由などは、前者の立場からは自己決定権の一内容として憲法上の権利とされ、後者からはいわゆる「周辺的」な行為であって自己決定権の保護の対象とはされないことになる。とはいえ、後者の立場をとる論者であっても、「周辺的」行為に対して憲法上の保護を及ぼそうとするものもある。

[94頁] このように、学説においても、身だしなみの自由やバイク等に乗る自由の憲法上の権利性について、見解の一致があるとはいえない状況にある。このことは、恐らく、利益状況の違いに応じた整理が不十分なことに因るものと思われるので、この点、以下の私見で試みることにする。

 従来の校則訴訟を通じて実際に問題とされた髪型の自由、服装の自由、バイク等の運転の自由の憲法上の権利性については、これらすべてが憲法一三条の自己決定権の問題であると捉えることに疑問を覚える65。というのも、戸波教授が指摘するように、「自己決定権には『自己の私的なことがら』という大枠での限定があるものの、基本的に自己決定の内容は不特定であり、『〜に関する自己決定』というように、さらなる特定化が必要66」となる。従って、憲法に個別的に列挙された権利の問題として解釈できるものは、自己決定権の問題としてではなく、可能な限り明文規定を根拠に論じた方が煩瑣な解釈論を回避することができるものと思われる。つまり、私見としては、バイク等の運転の自由は憲法二二条の居住・移転の自由の保障する移動の自由、とりわけ移動手段の自由と解釈する余地があるのではないかと考える。

 他方、髪型の自由や服装の自由といった身だしなみの自由は、「自己決定」に関わる問題と捉えることができるであろう。筆者自身としては、少なくとも、髪型の自由については、もっとも厳格な人格的利益説(佐藤説)に立ったとしても、髪は身体の一部であり、従って、髪型の自由は自らの身体の一部の処分に関わる自由と捉え、憲法上の保護を与えることが可能ではないかと考える。

 これに対し、服装の自由は身体の一部の処分に関わる自由と捉えることはできない上に、標準服の着用が強制されるとしても、それは髪型規制のように一定期間長期にわたるものではなく取り替えが容易である(規制の態様からしても髪型に対するより侵害の程度が低い)ことから、少なくとも、髪型の自由と服装の自由が同程度に憲法上保護されると解することはできないように思われる。

[95頁] 確かに、「一般的自由に憲法上の保護を及ぼすことそれ自体は、人権保障の範囲の拡大をもたらすことになり、むしろ好ましいことであり、さらに、自己決定権に対する制限の合憲性審査の段階で、人格に関わる自己決定の制限には厳格な審査を行い、それ以外の一般的自由の制限にはゆるやかな審査を行うという審査方法を確立させれば人権保障の弱化は回避される67」という戸波教授の主張は説得力がある。この見解に従えば、髪型の自由、服装の自由は「それ以外の一般的自由」にあたり、ゆるやかな審査基準68の下で、これらの自由に対する制限の合憲性の審査を行うことになろう。このように解釈することの長所として、戸波教授は、「人権問題とされることによって違憲審査の基準や方法が厳密に構成され、たとえば単純な裁量論の判断枠組みが是正されるなどの訴訟効果がありうるほか、人権救済の必要性と重要性が強められるという実際的効果が生ずる69」ことを挙げる。

 けれども、仮に服装の自由が憲法上の権利であるとしても、それに対する制約の合憲性はゆるやかな基準で審査されることになり、多くの場合に、規制は合憲と判断されることになろう。そうすると、校則制定権限の逸脱の有無を問う方法との間に権利救済において差が生じるのか、また、服装の自由を憲法上の権利として保障したことの意味が矮小化されるのではないかといった疑問の生ずるところである。そのうえ、今日の学校教育は、教科教育のみならず70、ひろく児童生徒の学校生活をめぐる「生活指導」(授業中の行動指導、進路指導、個人生活の指導等)もその対象とされている71。生活指導が児童生徒の人権・権利と直接するものであるが故に、すべての「私的なことがら」を「自己決定権」として憲法上の保護の対象に取り込むことは、むしろ、教育現場における教育活動の萎縮化・硬直化を招来する危険があるのではないかとの危惧を抱く。従って、「自己決定の自由」と憲法一三条の保護を受ける「自己決定権」とを区別し、憲法上の保護の対象となる事柄としからざるものとを明らかにしていくことが必要ではないかと考える。

 

[96頁]おわりに          目次に戻る

 以上、本稿では、校則の合憲性・合理性をどのようにして争うかという入口論と校則によって制限される自由の憲法上の権利性に焦点を当てて考察してきた。

 私見では、バイク等に乗る自由および髪型の自由が憲法上の保護を受ける権利と考えるが、本稿では、いかなる合憲性の審査基準の下で審査を行うべきか、実際に問題となった髪型規制の合理性について具体的に論じる余裕がなかった。当然のことながら、バイク等に乗る自由や髪型の自由の憲法上の権利性が認められるからといって、それらに対する規制が直ちに違憲となるわけではない。例えば、髪型に対する規制であっても、男子生徒全員に丸刈りを強制する場合(熊本丸刈り事件や小野中学丸刈り校則事件など)と一定のスタイルを禁止するような場合(修徳パーマ事件)では、規制の合理性を支える根拠は異なるものと思われる。これら残された課題については、別稿に譲る。

 

 

(1)市川須美子「校則裁判と生徒の権利保障」ジュリスト九一八号五六頁。また、具体的な校則の事例を集め、その問題点を論じるものとして、坂本秀夫『「校則」の研究』(三一書房・一九八六年)がある。

(2)座談会「校則問題を考える」ジュリスト九一二号五頁(石川発言)。

(3)判旨については、阿部泰隆「丸刈り強制校則の処分性と入学前の生徒の原告適格」ジュリスト一〇六一号一一七―一一八頁参照。

(4)中村睦男「熊本男子中学生丸刈り校則事件」判例評論三二九号四〇頁(判時一一九〇号一九四頁)、同「丸刈り校則裁判」教育判例百選(第三版)三〇頁、戸波江二「丸刈り校則と自己決定の自由」法時五八巻四号九二頁、阿部泰隆「男子中学生丸刈[97頁]り校則」法教六五号一一頁、奥平康弘「熊本地裁『丸刈り』判決を読んで」法セミ三七四号八頁、竹内重年「丸刈り裁判の問題点」季刊教育法六二号一三二頁、市川須美子「長髪禁止規定と子どもの人権」季刊教育法六二号一三五頁、江橋崇「男子生徒長髪禁止校則と公立中学校校長の専門的裁量判断権」法セミ三七九号一一六頁、同・法セミ増刊『最新判例演習室』一九八七年五四頁、小林武「校則による中学生の生活規制と司法審査」南山法学一〇巻一号二四一頁、桑山昌己「公立中学校の坊主刈り規制における諸問題」経済と法二四号一四五頁、浅利祐一「公立中学校における髪型の規制」憲法判例百選T(第三版)四六頁、小林節「公立学校における髪型の規制」憲法判例百選T(第二版)三八頁等、参照。

(5)本件校則が無効であることの周知手続を求める請求について、判決は、「一見被告校長に対し一定の給付を求めているかに見えるが、その実質は本件校則が無効であることの確認を求めているものに他ならない」と述べ、原告適格あるいは訴えの利益を有しないとしている。

(6)土井真一「公立中学校による生徒心得の制定行為と抗告訴訟の対象となる処分」判例評論四五四号二四頁(判時一五七九号一七八頁)、阿部「丸刈り強制校則の処分性と入学前の生徒の原告適格」前掲註(3)一一七頁、前田雅子「生徒心得における丸刈り等の定めと抗告訴訟の許否」平成八年度重要判例解説四〇頁、市川須美子「中学校校則の処分性」法教一九一号九八頁、脇博人「市立中学校の『中学校生徒心得』に男子生徒の頭髪は丸刈りとするなどの定めを置く行為が抗告訴訟の対象となる処分に当たらないとされた事例」判タ九四五号三五〇頁、伊藤治彦「市立中学校の『中学校生徒心得』に男子生徒の頭髪は丸刈りとする旨の定めを置く行為が抗告訴訟の対象となる処分に当たらないとされた事例」岡山商大法学論叢五号一五三頁等、参照。

(7)控訴審判決および上告審判決の状況については、判時一五六〇号七四頁のコメント部分を参照のこと。

(8)中村睦男「バイクおよび髪型規制を定める私立高校校則と生徒の懲戒」判例評論三九五号二〇頁(判時一四〇〇号一五〇頁)、米沢広一「東京・修徳学園校則違反事件」平成三年度重要判例解説一七頁、青木宏治「私立高校生パーマ禁止違反処分事件」教育判例百選(第三版)一三四頁、下村哲夫「東京・修徳学園校則違反事件」法律のひろば四四巻一〇号五〇頁、松井幸夫「校則違反を理由とする退学勧告と司法審査」法セミ四四四号一二三頁、梶村太市「バイク・パーマ規制校則違反による高校生退学処分等の効力」平成四年行政関係判例解説(ぎょうせい)三三三頁、小林武「私立高校の校則違反を理由とする自主退学勧告の適法性」民商一一七巻四・五号二一九頁等、参照。

[98頁] (9)浅羽晴二「中学校制服購入にともなう損害賠償請求」教育判例百選(第三版)一二八頁参照。

(10)小林武「高校生のバイク禁止と学校長の生徒規律権限」法セミ四〇四号一一三頁、同・法セミ増刊『最新判例演習室』一九八九年二四頁、森部英生「校則の法的性質と学校」季刊教育法七二号一〇八頁、恒川隆生「校則によるバイク制限」憲法判例百選T(第三版)五四頁、坂本秀夫「高校バイク禁止校則違反による自主退学勧告事件」教育判例百選(第三版)一三〇頁、青柳幸一「バイク『三ない原則』と自主退学勧告」法教判例セレクト’91七頁、下村哲夫「校則をめぐる諸問題と今後の展開」ジュリスト九九一号九〇頁、小林武「校則『三ない原則』違反と自主退学勧告の適法性」民商一〇六巻二号一一七頁、西村峯裕=間宮庄平「バイク三ない原則を定めた校則に違反することを理由の一つとする自主退学勧告の是非」産大法学二六巻三・四号一〇四頁等、参照。

(11)大橋洋一「県立高等学校の校則違反を理由とする自宅謹慎措置の違法性」判例評論三六五号四一頁(判時一三〇九号二〇三頁)、大須賀明「バイク規制校則と生徒の権利保障」昭和六三年度重要判例解説一二頁、竹中勲「バイク規制校則の合憲性・適法性」法教判例セレクト’88七頁、金子順一「校則に違反してバイクの運転免許を取得した高校生に対する家庭謹慎の措置に違法がないとされた事例」判タ七〇六号一二二頁、橋本博之「高校生の運転免許取得と校則」自治研究六五巻一〇号一二六頁、市川須美子「校則裁判と生徒の権利保障」ジュリスト九一八号五五頁等、参照。

(12)中村睦男「バイクおよび髪型規制を定める私立高校校則と生徒の懲戒」前掲註(8)、米沢広一「東京・修徳学園校則違反事件」前掲註(8)、松井幸夫「運転免許取得・バイク乗車を禁止する校則と退学処分」法セミ四四三号一三七頁、西村峯裕=間宮庄平「校則違反のバイク免許取得・乗車を理由とする退学処分の是非」産大法学二五巻三・四号一九九頁、梶村太市「バイク・パーマ規制校則違反による高校生退学処分等の効力」前掲註(8)、土井真一「修徳学園バイク退学処分事件」平成四年度重要判例解説一〇頁、竹中勲「修徳高校バイク校則違反退学処分事件控訴審判決」法教判例セレクト’92七頁、世取山洋介「私立高校生バイク禁止違反処分の損害賠償」教育判例百選(第三版)一三二頁、伊藤芳朗「校則と懲戒論」法律実務研究八号一六五頁等、参照。

(13)校則違反に対する訓告処分件数の全国的な調査はなされていないようであり、その実体を把握するのは難しいのが現状である。因みに、文部省初等中等教育局中学校課編「生徒指導上の諸問題の現状と文部省の施策について」(平成一二年一月)の中では、暴力行為を起こした中学生に対する訓告処分の件数(平成元年から一〇年度までの全国調査で四三四八件)が報告されている。

[99頁] (14)最高裁判所事務総局編『公物・営造物関係行政事件執務資料』(法曹会・一九八七年)二〇二―二〇三頁。

(15)恐らく、本件においては、訴えの利益について論じる方が説明しやすかったことによるものと思われる。

(16)最判昭四七・一一・三〇、判時六八九号一四頁。

(17)塩野宏『行政法U第二版』(有斐閣・一九九四年)一九一頁、芝池義一『行政救済法』(有斐閣・一九九五年)一二八頁、原田尚彦『行政法要論全訂第四版』(学陽書房・一九九八年)三三八―三三九頁。

(18)白石健三「公法上の義務確認訴訟について」公法研究一一号四六頁以下、兼子仁『行政法総論』(筑摩書房・一九八三年)二六三頁。

(19)学説・判例の状況については、さしあたり常岡孝好「無名抗告訴訟」行政法の争点(新版)二〇六頁、阿部泰隆『行政訴訟改革論』(有斐閣・一九九三年)三六五頁以下参照。

(20)阿部・同右書、三八四頁。

(21)阿部「丸刈り強制校則の処分性と入学前の生徒の原告適格」、前掲註(3)一一九頁。

(22)土井「公立中学校による生徒心得の制定行為と抗告訴訟の対象となる処分」、前掲註(6)二七頁。

(23)同右。

(24)阿部「丸刈り強制校則の処分性と入学前の生徒の原告適格」、前掲註(3)一一八頁。

(25)同右、一一九頁。

(26)人見剛「在学関係の法的性質」行政法の争点(新版)三〇六頁

(27)田中二郎『行政法総論』(有斐閣・一九五七年)二二四頁。

(28)兼子仁『教育法〔新版〕』(有斐閣・一九七八年)四〇〇頁。

(29)菱村幸彦『生徒指導の法律常識』(第一法規・一九七七年)三一―三三頁。

(30)代表的なものとして、室井力『特別権力関係論』(勁草書房・一九六八年)があるが、本稿との関係ではとりわけ三九九頁以下を参照。

(31)最判昭五二・三・一五、判時八四三号二二頁。

(32)佐藤幸治『憲法訴訟と司法権』(日本評論社・一九八四年)七五頁。

[100頁] (33)高知地判昭六三・六・六、高松高判平二・二・一九。

(34)東京地決昭六一・一〇・八、東京地判昭六二・四・一、東京高判昭六二・一二・一六、神戸地決平三・五・一六、大阪高決平三・八・二、神戸地決平四・六・一二、大阪高決平四・一〇・一五、神戸地判平五・二・二二、大阪地判平六・一二・二二、最判平八・三・八。

(35)阿部泰隆『行政の法システム(下)[新版]』(有斐閣・一九九七年)六八一頁。

(36)兼子『教育法〔新版〕』、前掲註(28)四〇五頁。

(37)人見・前掲註(26)三〇七頁参照。

(38)兼子仁=市川須美子編著『日本の自由教育法学』(学陽書房・一九九八年)一三頁。

(39)学校教育法施行令五条二項。

(40)学校教育法二二条一項、三九条一項、九一条。

(41)学校教育法二三条、三九条三項、同法施行規則四二条、五五条。

(42)伊藤公一「校則の法的性格」季刊教育法四七号一九頁。

(43)「校則問題を考える」、前掲註(2)六頁(塩野発言)。

(44)同右、八頁(塩野発言)。

(45)同右、七頁(塩野発言)。

(46)例えば、内野教授は、生徒や学生の人権制限の正当な目的として、他者加害防止や自己加害防止、良好な学校の秩序や環境の確保を含めた学校教育という目的の実現を挙げている(内野正幸『[新版]憲法解釈の論点(第三刷補訂版)』(日本評論社・一九九八年)四八頁)。

(47)阿部『行政の法システム(下)[新版]』、前掲註(35)六八一―六八二頁。

(48)小野中学丸刈り校則事件の原告は、長髪の自由が憲法一三条によって、服装の自由が憲法一三条、二一条により保障されるとし、千葉女子中学生制服代金請求事件の原告は、服装の自由は憲法一三条後段の幸福追求権の一つとして保障される他、二一条の表現の自由の一つとしても保障されると主張している。

(49)原審においては、憲法論の主張はなされていない。

[101頁] (50)同趣旨の評釈として、中村・前掲註(8)二三頁。

(51)判決が「髪型が思想等の表現であるとは特殊な場合を除き、見ることはできず」と説示した部分を、特殊な場合には髪型の規制が憲法二一条違反になるうる余地を認めたものとして一定の評価をするものもある(中村「丸刈り校則裁判」前掲註(4)三一頁)。

(52)本件原告の憲法論は、昭和四九年に出された日弁連人権擁護委員会の報告書(月刊生徒指導一九八六年二月号八三頁以下)の影響によるものとの指摘もみられる(江橋・前掲註(4)参照)。同報告書によれば、「頭髪は、身体の一部であり、髪型は人格の象徴であるから、これを規制することは、憲法上保障された基本的人権である人身の自由と表現の自由を制約することになる」とされていた。

(53)(4)で挙げた判例評釈を参照。

(54)竹中教授が指摘するように、両説をめぐる論争の背景にはより大きな論点をめぐる論争がある。すなわち、@憲法における人間像いかん、A一三条前段の「個人の尊重」原理をどのように理解するか、Bそもそも人権をどのようにとらえるかといった論点と、「自己決定権の定義の仕方・内容等」の論点は関連しており、両説の論争の評価にあたっては多面的な考察を要するとされる(竹中勲「自己決定権の意義」公法研究五八号三五頁)。

(55)戸波「丸刈り校則と自己決定の自由」前掲註(4)九三頁、同「幸福追求権の構造」公法研究五八号一頁参照。

(56)佐藤幸治『憲法〔第三版〕』(青林書院・一九九五年)四四三頁以下、四六一頁。

(57)米沢・前掲註(8)一九頁、竹中・前掲註(54)三六頁。

(58)佐藤教授は、『注解 憲法T』の中で、@「それ自体として重要な事柄とは目されないものであっても、その制限の仕方が恣意的な場合には、『個人の尊重』原理や平等原則に違反する場合がありえよう」とし、また、A「端的に、『自己決定権』と構成しえないような場合であっても、かかる『自己決定権』等の基本的人権を全うせしめる上で必要な場合には憲法上の保護を与えるべきものと解される」と述べている(樋口=佐藤=中村=浦部『注解 憲法T』(青林書院・一九九四年)二九五―二九六頁)。手段的に憲法上の保護を及ぼす場合とは、上記のような場合かとも思われるが、Aについては依然明確性を欠くように思われる。

(59)芦部信喜『憲法学U』(有斐閣・一九九四年)三九一頁以下、四〇四頁。

(60)米沢・前掲註(8)一九頁。

[102頁] (61)竹中・前掲註(54)三八頁以下。

(62)同右、四〇―四一頁。

(63)米沢・前掲註(8)一九頁。

(64)拙稿「公教育と親の教育権(三・完)」北大法学論集四四巻一号五七頁参照。松井教授は、家族の維持・形成に関わる自己決定権やリプロダクションに関わる自己決定権は、自己決定権としてではなく、憲法二四条の問題とする方が適切であったと主張している。もっとも、親の子どもを養教育する自由が憲法二四条によって保障されるかどうかについては、明言していない(長谷部恭男編著『リーディングズ 現代の憲法』(日本評論社・一九九五年)七五頁(松井茂記執筆))。

(65)棟居快行「幸福追求件について」ジュリスト一〇八九号一七九頁参照。

(66)戸波「幸福追求権の構造」前掲註(55)一六―一七頁。

(67)同右、一七頁。

(68)戸波教授は、刑務所や学校内での規律のように特定集団に対して特別の理由から髪型の規制が必要となる場合には、合理的関連性のテストに依拠して、規制目的と規制の必要性とを審査していくことが妥当であるとし、具体的には、髪型規制の目的・態様、その必要性・合理性、規制される個人の地位等の事情を考慮して、規制が合理的かどうかを審査すべきと主張している(戸波「丸刈り校則と自己決定の自由」前掲註(4)九四頁)。

(69)戸波「幸福追求権の構造」前掲註(55)一六頁。

(70)学校教育法は、小学校教育の目標として「学校内外の社会生活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと」(一八条一号)、中学校教育の目標として「学校内外における社会的活動を促進し、その感情を正しく導き、公正な判断力を養うこと」(三六条三号)を掲げ、教育指導の対象としている。

(71)兼子『教育法〔新版〕』、前掲註(28)四三一―四三二頁参照。

 

 

 (本稿は、平成十一年度帝恷R学術・研究助成(第二種A)の助成を受けたものである)

 

 

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