[133頁]研究ノート

 

   証拠の標目の挙示の趣旨に関する一考察

        ―ある高裁判決を素材として―

                         伊  藤  博  路

     目  次 

     一 問題の所在

     二 判例・学説の状況

     三 本判決の検討と若干の私見

 

       問題の所在                           目次に戻る

 刑訴法三三五条一項の規定する有罪の言渡をする場合の証拠の標目の挙示については、同法四四条の規定する判決理由との関係で従来から議論のあるところである(1)。小稿では、この点を意識しつつ、刑訴法三三五条一項の規定する証拠の標目の挙示の趣旨について、東京高判平成七・四・三(判時一五七三号一五〇頁、判タ九一六号二五七頁、事案は住居侵入、窃盗被告事件)を素材とし、若干の考察を行う。

[134頁] 小稿で取り上げる事例は、住居侵入、窃盗被告事件において、窃盗の事実を認めた原判決が、証拠の標目として、単に「被告人の当公判廷における供述及び検察官提出の各証拠によって認めることができる」と記載しているのみで、刑訴法三三五条一項の要請を充たしておらず、同法三七八条四号の規定する判決に理由を附さない違法があるとして、控訴審において破棄された事案(破棄自判・上告)である(2)

 小稿の問題意識などについては後に述べることとして、まず、本判決の判旨をみることにしよう。

 本判決で東京高裁は、判決理由において、第一として、職権判断で、原判決は、刑訴法三三五条一項の要請を充たしていないので、理由不備の違法があり、破棄を免がれないとし、以下のように論ずる。

 まず、刑訴法三三五条一項の趣旨について、「同法四四条が上訴を許す裁判には理由を附さなければならない旨規定しているところを有罪判決について具体化した趣旨である」とし、「第一審の有罪判決に示された罪となるべき事実などが法の要請を充たしていない」場合には、刑訴法三七八条四号の適用によって判決が破棄されることになるとする。

 続いて、「法が証拠の標目をいかなる方法で示すことを要請しているか」について検討している。「まず、審理裁判所が、証拠の証明力についての自由心証主義(同法三一八条)の下で、少なくとも証拠により罪となるべき事実を認定したことが窺われる程度のものを要請していると解すべきは当然であるが、そのほか、その証拠を標目つまりは標題又は種目によって示すことをも要請していると解するのが相当である。すなわち、旧刑訴法が証拠により罪となるべき事実を認めた理由を説明することを要請していたのを現行刑訴法が証拠の標目を示すことで足りるものと緩和したこと」、および刑訴規則一八八条の二、四四条一項二三号、二一八条の二の規定とを考え合わせると、「法は、証拠請求書や公判調書に記載されるように、個別に証拠の標題又は種目を記載する仕方で判決に証拠の標[135頁]目を示すことを要請しており、公判調書を参照しなければ有罪判決に用いた証拠の概要すら窺われないような記載では不十分と見ているものと理解すべきであるからである。このことはまた、上訴を許す裁判には理由を附して当事者に示し、上訴審の審査に服させるという法の基本構造に沿うところと考えられる」。

 そして、以上の点から、原判決が示した証拠の標目について検討すると、「被告人の原審公判廷における供述を示している点では、証拠の標題又は標目を示しているものの、それのみでは罪となるべき事実を認定するに足りる程度の証拠が示されているとは言えず、検察官提出の各証拠と示している点は、証拠の標題または種目を示しているとは言えないので」刑訴法三三五条一項の要請を充たしているとはいえない、とする。

 このように述べて、刑訴法三九七条一項、三七八条四号を適用して原判決を破棄した上で、刑訴法四〇〇条ただし書によって、原判決が認定した事実に基づいて、自判している。

 この自判においては、原判決が認定した罪となるべき事実について、公訴事実と証拠との関係、証拠の種類等を具体的に掲げ、証拠の標目を示している。そして、罪数処理を行い、判決する。

 本判決の特徴としては、刑訴法三三五条一項の趣旨について一般論を展開していることが挙げられる。この点に触れている判例としては、例えば東京高判昭和五三・六・一二(東高刑時報二九巻六号一二二頁、事案は覚醒剤取締法違反被告事件)がある。同判決で東京高裁は、証拠の標目の挙示を要請する趣旨について「刑訴法三三五条一項が有罪判決に証拠の標目を示すことを要求しているのは、判示事実が証拠によらないで認定されたのではないことを明らかにさせ、証拠裁判の原則を保障するためである」と判示した。この点は本判決の「少なくとも証拠により罪となるべき事実を認定したことが窺われる程度のものを要請していると解すべきは当然である」とした判示事項と同趣旨であろう。これは、証拠の標目の挙示の意義に関わる。また、本判決では、この他にも、「その証拠を[136頁]標目つまりは標題又は種目によって示すことをも要請していると解するのが相当である」と言及している。これは、判決における証拠の示し方、ひいては刑訴法三三五条一項の解釈にも関わってくる。本判決は、刑訴法三三五条一項の趣旨について、「同法四四条が上訴を許す裁判には理由を附さなければならない旨規定しているところを有罪判決について具体化した趣旨である」と判示している。これは、判決理由における証拠の標目の挙示の意義に関わってくるであろう。

 さて、小稿では、以上の点を踏まえつつ、証拠の標目の挙示の趣旨について考察する。考察の順序としては、まず、判例・学説の分析を行った後、本判決について検討を加えた上、若干の私見を述べる。

 

        判例・学説の状況                       目次に戻る

 従来、判決における証拠の示し方を問題にした裁判例は多い。それらは、法が証拠の標目を示せば足りるとしたこと自体よりも具体的な示し方の当否が問題とされたものである(3)。そのような中で、証拠の標目を示せば足りるとする規定は憲法に違反するという主張に対して、裁判所がこれに詳細に答えているものがある。東京高判昭和四八・一一・一五(判時七三六号一〇九頁、事案は道路交通取締法違反被告事件)で、東京高裁は次のように判示した。

 刑訴法三三五条一項の規定は、旧刑訴法三六〇条が『証拠に依り罪となるべき事実を認めたる理由を説明すべき』旨定めていたのと比較すると簡略化されたものであるが、これによって、単に証拠の標目を示せば足りることとなって証拠の内容まで逐一摘記することは必要とされなくなった。したがって、証拠の標目を示すだけでは、「いかなる証拠内容によっていかなる事実を認定したのか、判文自体からは必ずしも明確とはいえないが、挙示する証拠[137頁]が特定されていれば、標目により記録からその証拠資料を提出することはきわめて容易であって、判文と記録を照らし合せて見ることにより、どの証拠のいかなる内容によってどの事実を認めたか、証拠と事実との関連性が明らかになるのであるから、事実誤認または理由の不備ないしくいちがい等による上訴との関連においても、実質的に当事者の利益は担保されているものというべきである。そして、現行刑訴法は、当事者主義を基調とし、被告人に黙秘権を認め、訴因制度〔中略〕等を採用して、厳正な手続のもとに事実審理の充実を期し、なかんずく刑事司法における人権の尊重・適正手続の保障に関しては、旧法に比し、全般的により周到な配慮をしているものというべく、このような現行刑訴法の基本的全般的な構造の中において、刑訴法三三五条一項の規定による証拠理由説示の方式が旧法に比し前記のように簡略化されたからといって、一概に被告人の権利の保障ないし適正手続の実施の面で後退したものとは認め難く、却って判決書作成という外形的技術的労作に要する時間的、労力的負担を軽減し、その余力を実質的な審理の充実にあてることにより、被告人の利益はより強く保障されることになったと認めうるのであって、所論のように右規定が憲法前文・一条・一三条・三一条に違反するものとは解することができない」。

 この判決においては、次のような点を確認しておく必要があろう。第一に、旧刑訴法に比較して、証拠理由説示の方式が簡略化されているとしても、当事者主義を原則とする現行刑訴法の構造において総合的に考察すると、被告人の人権保障の点で後退したとはいえないとしていることである(4)。実務上も判決書作成の労力が軽減され、審理の充実に資し、被告人の人権はより強く保護されることになったという。第二に、証拠の標目の挙示の要請が、被告人の上訴との関連において論じられていることである。

 第一の点については、現行刑訴法と旧刑訴法とを比較検討した上、現行法制下では証拠理由説示の方式が簡略化されていてもよいとするが、これだけを取り上げると人権保障の観点からは、旧法に照らし一歩後退したといえよ[138頁]う。たしかに理論的にはこの判決のいうように解することもできるかもしれない。しかし、書面審理中心主義といわれるように「刑事裁判の現実が、必ずしも理想的な運用を実現していない状況の下において」「最小限度の証拠説明として証拠の標目を掲げることをもって足るとする」理論的立場を貫徹することには躊躇せざるを得ないように思われる(5)。証拠の標目の挙示の趣旨について考える上では、このような視座を看過することはできないであろう。また、一般的に被告人の権利が手厚く保護されている傾向の中で、この点だけ反対の方向に傾くことについては、疑問の余地がないとはいえないように思われる。

 第二の点、すなわち、証拠の標目の挙示と上訴の関係につき考えてみると、最判昭和二五・九・一九(刑集四巻九号一六九五頁、事案は虚偽公文書作成同行使等被告事件)で、最高裁は、有罪判決において、数個の犯罪事実につき各事実ごとに証拠の標目を示さず、多くの証拠の標目を一括して掲げても「記録と照らし合せて見てどの証拠でどの犯罪事実を認めたかが明らかにされていれば」刑訴法三三五条一項は充たされると判示した。しかし、そのような証拠の標目の羅列ないし一括挙示は、被告人が、特定の犯罪事実の認定にどの証拠が用いられたのかを検討しようとする場合に問題が生ずることにはならないのだろうか。

 このように、証拠の標目の挙示をめぐっては、理論的に問題があるように思われる。しかし、これは優れて実務的な問題であるので続いて実務の視点から考察しよう。

 この点から、例えば次のような見解がある(6)。証拠の標目は単に羅列しただけでは違法であるが、しかし、証拠の標目の挙示は実際上ほとんど意味をもたない。証拠の標目を並べて見てもその中身は判らないから、ある証拠がある事実の証明となるか否かは記録を調査する外ないが、この調査によって証拠と事実との関係は明らかとなるはずである。判例もこれを認めて、判文上証拠と事実との関連性が明らかでない場合においても、記録と照合して見[139頁]ればどの証拠がどの事実を立証しているのか明白であるときは、違法ではないと解している。立証趣旨、訴訟関係人の陳述および証拠の内容を点検してもなお証拠と事実との関連が不明であることは実務上はほとんど見られない。すると、このような例外的な場合を除き証拠の標目は単に列挙するだけで差し支えないということができる。そして、どの証拠がどの事実の証拠となるのかを区分するのは、上訴審における事後審査での便宜手段となるということに意味があるにすぎない(7)

 以上述べるところを要約すると、次のようになろう。証拠の標目の挙示は実際上あまり意味を有しない。それは、証拠標目挙示主義を採用している以上、結局訴訟記録を調査せざるを得ないのであるが、これを行えば一般に証拠と認定事実との関連が明白となるからである。そして、証拠と事実との関連を明らかにすることは、上訴審で便宜となることに意味があるのみである。

このように考えると、先の二つの点すなわち、人権保障の後退および証拠の標目の羅列ないし一括挙示の点は実際にはほとんど問題とならないことになろう。

 さらに、明治一三年の治罪法から現行刑訴法に至るまでの証拠説示方法に関する規定の推移からは、刑訴法三三五条一項の趣旨は「甚だ曖昧である」とした上で、「同条項は、判決文に事実認定の根拠となった証拠関係を特定するに足りる契機を記載することを要請するにとどまり」、「『証拠』特定方法の一例」として証拠の標目の挙示を要求する見解も見受けられる(8)。論者は、「証拠の標目」を「証拠」と読み替えることにより、具体的には、証拠特定の方法として、「証拠等関係カード」の使用を提唱し、証拠等関係カードの最上欄の番号の記載だけでも、解釈論として法の要請を十分充たすという(9)。しかし、証拠の標目にカードの番号を付記するのではなくて、カードの番号だけが示されることになっても証拠の標目が示されたといえるかは疑問であろうし、法はここまでの簡略化を[140頁]認めたと解することも困難であるように思われる。

 なお、証拠の標目の挙示の合理化を提言する東京地裁・大阪地裁刑事判決書検討グループ「刑事判決書の見直しについて(提言)」(判タ七五五号(一九九一年)一〇頁)も、個々の証拠の標目の表示方法の簡略化を提案しているが、証拠の標目自体は明確に記載することを前提としており、カード番号のみの記載を認めるものではないといえよう。

 ところで、刑訴法立案担当者の見解として、次のようなものがある(10)。当事者主義を採用した現行法制下では、「判決書、殊に証拠説明は従来ほどの意味も失い、他方判決書を通じての証拠形成の理由付けはいよいよ困難となるのである。しかしながら、証拠説明を全く不要とするのは性急に過ぎるのであって、証拠法の完成と裁判官及び訴訟関係人のこれに対する習熟を要件とするのである」。「それまでは、判決の基礎となった証拠を公判廷に現れた証拠のなかから拾い上げてこれを明らかにすることも必要と考えられる。証拠の標目を示すというのは、かような意味を持つのである」。

 この見解に対しては、「証拠法の完成」とはどういうことを意味するのかというような問題もあろうが、いずれにしろ、このような立場を採ると、結論的には証拠説明は不要となるとも考えられる。また、このような見解は、証拠の標目の挙示が要求される趣旨については、判例の立場と同様の観点に立つものであると評価できよう。

 さて、以上の点を勘案すると、証拠の標目の挙示の要請を、判例の立場から理解することにも一応の合理性はあるように思われる。証拠の標目の挙示でよいとする以上、被告人は証拠の標目に示された証拠を実際に確認しなければならなくなるが、その際、証拠の立証趣旨の調査などにより、犯罪事実と証拠との関連も明らかになるということも、被告人の手間を度外視するのであれば、解釈の一応の根拠にもなりうるかもしれない。しかし、調査すれば個々の事実認定に使われた証拠が判明するという理由で証拠説示の方法が簡略化されてもよいというのは、自由[141頁]心証の合理性の担保の観点からは問題があるように思われる。

 証拠説示方法をめぐる現行刑訴法に至るまでの議論の経緯をみると、「いかなる規定をおけば、証拠説示として必要かつ充分であるか、あるいは、無理無駄がないかという考案の歴史であったと言える(11)」ことは事実であろう。しかし、事実認定の合理性の担保を強調する立場からは、証拠標目挙示主義では足りず、旧法のような証拠内容判示主義に戻るべきことが主張されている(12)。現行法では、口頭主義に徹したことから、裁判官を心証形成に集中させることにし、判決書の記載を簡易化することにした(13)。そして、この証拠説明の簡略化は、裁判官の負担軽減を狙いとした昭和一七年の戦時刑事特別法二六条を引き継いだものなので(14)、「『裁判の手ぬき』の印象がないわけではなく、そのため、事実認定の合理化をめざす手段として、むしろ証拠説明まで要求すべきだという意見も根強い(15)」のである。自由心証の合理性の担保を根拠とすると、証拠の標目の挙示の要請により実質的な意味が与えられることになろう(16)。具体的には、どの証拠でどの事実が認定されたかが分かるような挙示の仕方をする必要があり、また、特に争いのある事件においては、有罪判決の基礎とされた主要な証拠について必ず具体的な証拠説明を行うという運用が望まれることになろ(17)(18)

 

        本判決の検討と若干の私見                   目次に戻る

 本判決は、証拠の標目として、「被告人の当公判廷における供述及び検察官提出の各証拠によって認めることができる」と記載していた原判決につき、「被告人の原審公判廷における供述を示している点では証拠の標題又は種目を示しているものの、それのみでは罪となるべき事実を認定するに足りる程度の証拠が示されているとは言えず、[142頁]検察官提出の各証拠と示している点は証拠の標題又は種目を示しているとは言えないので、結局、原判決が示した証拠の標目は刑訴法三三五条一項が要請するところを充たしておらず」、原判決には理由不備の違法があるとした。

 検察官提出の各証拠という記載では証拠の特定がなされておらず、証拠の標目を示していることにはならないとする本判決の判示は正当であろう。また、東京高裁は、刑訴法三三五条一項は、「個別に証拠の標題又は種目を記載する仕方で判決に証拠の標目を示すことを要請しており、公判調書を参照しなければ有罪判決に用いた証拠の概要すら窺われないような記載では不十分と見ているものと理解すべきである」と判示している。これは、証拠の標目の挙示の要請を解釈する上での具体的指針の一つを示すものといえよう。もっとも、本件では証拠の標目の羅列すらなされていないのであるから、原判決が破棄されるべきは当然であるといえよう。また、東京高裁が「公判調書を参照しなければ有罪判決に用いた証拠の概要すら窺われないような記載では不十分」であると判示していることからすると、証拠の概要が窺われれば法の要請を充たすと解することもできるので本判決は従来の判例の立場を確認したものと評価されよう。さて、本判決で東京高裁は、刑訴法三三五条一項は同法四四条を有罪判決について具体化した趣旨であると述べている。かかる判示事項からは、次のようにいうことが許されよう。刑訴法四四条は、裁判には理由を付さなければならないという原則(一項)と、その例外(二項)とを規定するが、一項に規定される原則は、@当事者を納得させ、A公開主義の趣旨を担保し、Bひいては、恣意的な裁判を防止するために機能し、Cさらに、上訴による審査の手がかりを提供するため、に要求されている(19)。そこで、刑訴法四四条の具体化と考えれば、自由心証の合理性の確保を同法三三五条一項は要求しているということもできるのではなかろうか。本判決は、下級審判決ではあるが、そのように考える理論的可能性を示唆していると考えられる。これまで、自由心証の合理性の確保、ひいては適正な事実認定の要請が刑訴法三三五条一項の根拠の一つであることについて、最高裁[143頁]が言及してこなかったように思われる。

 ところで、本判決の自判においては、個々の犯罪事実と証拠との関係も特定されている。仮に前述のような要求から証拠の特定の要請を推し進めていくと、証拠標目の羅列であっても、判文と記録とを照合してどの証拠でどの事実を認めたか分かれば差し支えないとする判例(20)も問題があるのではないかと思われる(21)。それらに対しては、批判的な検討がなされねばなるまい(22)。現行法が単なる羅列も認める趣旨であるとするのは、行き過ぎの感があることは否定できないからである。陪審制を前提とする英米法に由来する当事者主義の採用を強調すると(23)、証拠説明の簡略化の方向へ向かい易いことも事実であろうが、適正な事実認定の担保の観点は捨象されてはならないであろう。「適正手続と等置される当事者主義」(24)の観点からも(25)、「事実認定の合理性を保障するため」の証拠の標目の挙示の要請が(26)、著しく緩やかなものとなるのは、問題があるといわねばなるまい。さらに、「調書裁判」といわれるような必ずしも理想的な運用が実現されていない刑事裁判の現実の下においては、少なくとも争いのある事件について有罪判決にある程度の証拠説明がなされることには(27)、一定の意義があるように思われる。そこで、今後は刑訴法四四条の今日的意義について検討してゆく必要があろう(28)

 さて、最後に本件に関連する裁判例について触れておきたい。まず、札幌高判平成六・四・一二(判タ八五五号二九〇頁、事案は北海道海面漁業調整規則違反、漁船法違反、電波法違反被告事件)で、札幌高裁は、簡易公判手続によって審理された事件の判決書であっても、「記録中の証拠等関係カード記載の証拠をここに引用する」というような記載は、「原判決が原審証拠等関係カード記載の各証拠のうちのどれを本件各犯罪事実の認定に供する趣旨か、その特定がなされていないといわざるを得ない」から、「証拠の標目を特定して揚げていない点で、理由不備の違法があると認められるから、原判決は、この点で既に破棄を免れない」としたが、証拠標目挙示のあり方を[144頁]確認したという点で、本判決と共通する趣旨のものといえるであろう。

 また、大阪高判平成五・五・二七(判時一四七二号一五八頁、事案は窃盗・銃砲刀剣類所持等取締法、火薬類取締法違反被告事件)で、大阪高裁は、原判決が証拠の標目において、「例えば『検面』等の略号を使用する旨のことわり書きを付した上、『被告人以外の者の検面』等の欄を設けて、その欄に検察官証拠申請番号を示す数字のみを記載し」たのに対し、「有罪判決の理由として証拠の標目を示すに当たっては、誰の供述調書等であるのかを判決書自体で分かるように記載すべきである」とし、このような記載をした原判決の「証拠標目の記載には瑕疵があるとの非難を免れない」と判示した(29)。これは、本判決と同様にその羅列すらなされていないのであるから、違法であるのは疑いがないように思われる。

 証拠の標目の挙示に関するこのような最近の下級審判例に鑑みると、前述した刑訴法四四条の今日的意義の分析もさることながら、証拠の標目の挙示のあり方を改めて検討する必要性が感じられることを付言し、小稿の結びとしたい。

 

(1)冨田真「刑事判決理由の研究(一)―ドイツにおける判決理由の理論史的考察を中心として」法学六一巻三号(一九九七年)二七頁参照。

(2)なお、公刊物からは、事実の概要について窺うことができないことを、あらかじめお断りさせて頂く。

(3)浦辺衛・柏井康夫「有罪判決の理由」総合判例研究叢書刑事訴訟法 (一九五八年)七八頁以下参照。

(4)同趣旨の見解として、例えば、平田勝雅「証拠説明」証拠法体系T(一九七〇年)二八一頁。

(5)藤木英雄「裁判の理由」刑事訴訟法講座3(一九六四年)二一頁。

(6)司法研修所〔能瀬高生〕『刑事判決書の実証的研究』(司法研究報告書六輯一〇号、一九五五年)四四六頁。

(7)なお、論者は「標目主義を押し通せば標目列挙をも不必要となると言い得るのではないかと思われる。〔中略〕法第三三五[145頁]条第一項の要請を満すために、『記録中判示事実に符合する全証拠』と表示しておけば、一応標目が明示されたことになる」(前註四四七頁)とも述べている。

(8)富永良朗「刑訴法三三五条一項の系譜とその今日的展開」判タ九〇〇号(一九九六年)五、三二頁。

(9)同右。なお、戸田弘「刑訴三三五条一項にいう証拠の標目(高裁判例研究)」判タ一五七号(一九六四年)四九頁も、簡易公判手続によらないで審理した事件の判決書に、「検甲第一、二、七号証」とのみ記載したのでは、刑訴法三三五条一項にいう証拠の標目を示したものということができないと判示した大阪高判昭和三六・六・五(高刑集一四巻四号二一九頁、事案は道路交通取締法違反被告事件)について、「刑訴三三五条一項にいう証拠の標目も、要するに、個々の証拠資料の内容ではなく、そのいれ物を特定できるようなめじるしを意味するのであろう」とし、「その書面自体のもつめじるしを直接に表示するものということができるかぎり、その表示のなかにその書面の性質ないし類型があらわれていなくても、標目の表示といつていいのではなかろうか」と言及しているが、これと同じ系列に属するものということができよう。

(10)司法研修所〔横井大三〕『新刑事訴訟法逐条解説V』(一九四九年)一三四頁以下。

(11)富永・前掲論文二七頁。

(12)庭山英雄『自由心証主義』(一九七八年)二〇頁以下など。

(13)平野龍一『刑事訴訟法』(一九五八年)二七八頁。

(14)佐伯千仭「証拠法における戦時法の残照」石松竹雄判事退官記念論文集『刑事裁判の復興』(一九九〇年)一二〇頁〔のちに、同『陪審裁判の復活』(一九九六年)所収〕など。

(15)田宮裕『刑事訴訟法』(新版、一九九六年)四二七頁。

(16)墨谷葵「証拠説明の程度」刑事訴訟法の争点(一九七九年)二三六頁参照。

(17)鈴木茂嗣『刑事訴訟法』(改訂版、一九九〇年)二三五頁など。

(18)なお、立法論として、争いのある事件での証拠説明を要求すべきことを示唆するものとして、金築誠志「判決書の簡素化」公判法体系V(一九七五年)二五一頁、高内寿夫「事実認定の構造論からみる陪審制と職業裁判官制――自由心証主義の二側面」白鴎法学六号(一九九六年)一四三頁注()とその本文参照。

(19)田宮・前掲書四二六頁など参照。

[146頁](20)最判昭和二五・九・一九刑集四巻九号一六九五頁、最判昭和二六・四・一七刑集五巻六号九六三頁など。

(21)高田卓爾『刑事訴訟法』(二訂版、一九八四年)四八三頁、吉田常次郎「裁判の理由」刑事法講座第六巻(一九五三年)一二一七頁など。なお、判例の立場に肯定的な見解として、例えば、齋藤朔朗「有罪判決の構成」法律実務講座刑事編第七巻(一九五五年)一五九八頁、中山善房「証拠摘示の程度」公判法体系V(一九七五年)三一五頁。

(22)なお、そもそも「証拠を挙示しただけで、訴訟関係人を納得させる説明がなされたとは言い難いのではなかろうか」(高内・前掲論文一一三頁)という点も問題となりうるものと思われる。この点に関して、田口守一『刑事訴訟法』(一九九六年)三三五頁では、「当事者主義からすれば、当事者の立証活動の結果が判決に反映されるべきであるから、証拠についてはその標目で足りるにしても、当事者が納得できるだけの証拠説明がなされることが望ましい」と述べられている。また、争いのある事件で、事件の内容が複雑である場合には、挙示する証拠が多くなるが、このような場合にも証拠の列挙で足りるとするのは、当事者の納得の観点から問題であることを指摘するものとして、大竹武七朗「刑事判決の証拠説明」自由と正義九巻一〇号(一九五八年)一五頁。

(23)ちなみに、「現行法制定の際には、―陪審裁判を基本とする英米法が、判決書における証拠説明という問題意識すら持たないことと関連して―証拠に関する記載の簡素化は当事者主義の当然の帰結と考えられた」(松尾浩也『刑事訴訟法下』(新版補正版、一九九七年)一四九頁)。

(24)松尾浩也「『当事者主義』について」中野次雄判事還暦祝賀『刑事裁判の課題』(一九七二年)五九頁〔のちに、同『刑事訴訟の原理』(一九七四年)所収〕。

(25)当事者主義は多義的な観念であるが、ここでは「被告人・被疑者の権利保障、いいかえれば適正手続を内容とする当事者主義観念」(前註)という意味である。なお、この点につき、鈴木茂嗣「『適正手続』および『当事者主義』の観念について」法学論叢一〇二巻五・六号(一九七八年)六八頁〔のちに、同『刑事訴訟の基本構造』(一九七九年)所収〕参照。

(26)田口・前掲書三三四頁。

(27)実際にもこのような運用がなされることは少なくない(松尾浩也監修『条解刑事訴訟法』(新版、一九九六年)七四二頁など)。

(28)この点については、「判決理由には、特に訴訟当事者にとりいかなる意義が認められるのか、〔中略〕判決理由の諸機能と我が国の立法、判例、学説のとる証拠標目挙示主義とが整合性をもつのかの分析も不可欠性であろう」(冨田・前掲論文二八頁)。

[147頁](29)ただ、本件においては、補強証拠の十分性に欠けるところがないこともあって、原判決を破棄しなければならない程の違法があるとまではいえないとした。

 

 附記 本稿は、平成九年度帝塚山学園特別研究助成費による研究成果の一部である。

 

 研究ノート

証拠の標目の挙示の趣旨に関する一考察

帝塚山法学1(1998) 164

帝塚山法学1 (1998) 163_

帝塚山法学1 (1998) 149

 

証拠の標目の挙示の趣旨に関する一考察

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