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 基本情報


氏名 赤田 光男
氏名(カナ)  
氏名(英字) -
研究内容 日本の生活文化を民俗学から探っています。私達の先祖がカミやホトケをどのように信仰してきたのか、日々の暮らしはどうだったのか、興味つきない広がりがあります。

 研究キーワード

研究キーワード
民俗宗教 先祖信仰 精霊信仰

 著書

タイトル 著者 出版社 出版年月 担当区分 担当範囲 概要
精霊信仰と儀礼の民俗研究-アニミズムの宗教社会- 帝塚山大学出版会 20070300 単著 pp.1-545 日本人の精霊信仰や儀礼の史的展開について、考古・文献・民俗の史資料を駆使して分析。とくに中世の竜蛇、神鹿、狐、狼、山、神火、地震に関する信仰や俗信、雨乞儀礼、近世の風水信仰、聖森信仰、近現代の狐の施行、稲荷行者と教派神道、蒼前神信仰、上げ馬神事、水・木・火・雪の民俗などからその実態を明らかにする。動植物霊、無生物霊、自然現象霊に関する信仰と俗信の多彩な世界がより鮮明になったと思われる。

 論文

タイトル 著者 単著・共著の別 発行雑誌 発行所 開始ページ 終了ページ 出版年月 掲載種別 概要
中世大和の精霊信仰に ついて 単著 森永道夫編『芸能と信仰の民族芸術』所収 和泉書院 P291〜P306 20030500 『大乗院寺社雑事記』に記されている竜、蛇、蟻、蛙に関する信仰や俗信を分析。その結果 (1)超昇寺の僧侶の死亡や寺坊の火事は同寺池の蛇霊のタタリである。 (2)教観谷池の決壊は同池主の竜神が猿楽座美女求愛の為に池を出たことによる。 (3)竜神の住む猿沢池の水の変色は、火事兵乱の前兆である。 (4)地震は地下の竜神が動くからである。 (5)東大寺八幡社神前の撫物上に置かれた切々の蛇体は9代将軍義尚をノロウためのものである。 (6)蟻軍、蛙兵は兵乱の前兆である。 という認識があったことが判明。動物霊信仰が仏教を規制している事実を明 示した。
中世大和の民俗知識 単著 『帝塚山大学人文科学部紀要』第13号 P35〜P60 20031100 『大乗院寺社雑事記』に記されている狐・猿・犬・水牛・猫などの獣類、烏・鳩・卵・天狗・鷹などの鳥類およびそれに関連するもの、さらに春日神木・藤・松・春日社千木・春日社社頭西屋・槻など樹木やそれに関連する建築物等についての信仰や俗信を分析。動物や植物をめぐる信仰や俗信が多彩に展開していたことを明らかにする。
中世大和の変異現象と予兆 単著 『日本文化史研究』第36号 帝塚山大学日本文化史学会 P19〜P41 20040300 『大乗院寺社雑事記』に記されている春日山や古市在所の山の鳴動、多武峰の破裂、若宮社や春日社の御正体の落下、さらに火柱・神火・光物・彗星の出現という異変に対する認識を分析。その多くは異変が生じた方角や場所に凶事が起ることの前兆とみなしたり、神仏諸霊の啓示とみなす精神史があったことが明らかとなった。山や火、星などの無生物、自然現象に対する精霊信仰の根強さを指摘した。
中世大和の予兆と禁忌 単著 『帝塚山大学人文科学部紀要』第16号 P47〜P61 20041100 『大乗院寺社雑事記』に記されている植物、動物、自然現象の異変を凶事ないし吉事の前兆とみなす考えは精霊信仰の伝統を伝えるものであり、また神や仏、神人、巫女らによる予兆・予言は神信仰、仏信仰、巫女信仰の象徴であることを分析。さらに禁忌とケガレの相関性についても論じた。
狐の施行と稲荷行者 単著 『朱』第48号 伏見稲荷大社 P201〜P212 20050300 寒中に野山の狐に小豆飯や油揚などを供えに行く「狐の施行」について分析。本来は農業神としての狐に供物を供えて稲の豊作を祈る民俗信仰であったが、やがて稲荷神を信仰する稲荷講や稲荷行者の介在により、狐信仰が稲荷信仰へと重点を移すに至ったことを論ず。
地域社会における教派神道と民俗宗教 単著 『帝塚山論集』第96号 帝塚山大学 P1〜P43 20050300 明治以降に続出した教派神道の内、南山城地方の神道修成派、扶桑教、御嶽教の支部教師の宗教活動や地域住民との交流状況を分析し、教派神道と民俗宗教が習合していることを明らかにする。教派神道は古典神話の神々を主祭神としながらも、地域の稲荷信仰、精霊信仰、御霊信仰、山岳信仰、氏神信仰と習合し、さらに占術、呪術、人生儀礼、各種祈祷にも関与する実態を論述する。
民俗文化 単著 南山城村史編さん委員会編『南山城村史 本文編』所収 南山城村 P648〜P746 20050300 京都府相楽郡南山城村の民俗文化について、特に儀礼と信仰、民俗知識を中心に分析。民俗知識に関しては予兆・ト占・禁忌・呪術・ノロイ・憑き物・妖異・妖怪などから考察。当地域の豊富な民俗文化の実相を明らかにした。
水論と雨乞 単著 『帝塚山大学人文科学部紀要』第17号 P1〜P14 20050300 滋賀県八日市市域の近世の高井を利用する村々を中心とした水利、水論、雨乞、雨乞奉納絵馬を分析。また京都府南山城村田山に伝承されている花踊り(雨乞踊り)を検討。これらのことから水にかかわる異常態と非日常態の有様を考察した。とくに雨乞奉納絵馬は竜神信仰の典型を示すものであることが判明した。
南部地方における放牧馬の生態と蒼前神信仰 単著 『帝塚山大学人文科学部紀要』第18号 P1〜P17 20051100 青森県の旧南部藩領の村々で展開してきた放牧馬や蒼前神信仰の実態について考察。放牧馬についてみると、放牧期間は四季放牧と三季放牧、放牧の主体者は近世には藩営放牧・村営放牧、現代は村営放牧・組合放牧・個人放牧の別があること、さらに蒼前神信仰についてみると、祭祀主体者は郷や超地域的な例のほか、村、畜産組合、個家と村合同、個家の類型があり、神体は神馬像と騎乗神像の二系、蒼前神は神話的聖馬と歴史的名馬の二種があることを明らかにする。
盆の木考 単著 『蒲生野』 37号 八日市郷土文化研究会 P4〜P14 20051200 滋賀県八日市市内の村々では盆の精霊迎えの施設として山中や平地、川辺に「盆の木」と称する建物を立てる例が16ヵ所ある。柱松の一種であり、万灯・アマノイエ・アマノエ・アマヤ・松上げ・チョウモンと称する所もある。8月7日に立て、13日に点火し、この火を精霊迎えの火としている。これらを分析した結果、この施設は各戸が村境や墓などから精霊迎えをする以前の、より古い村共同の祖霊祭場であり、施設を立てる山が本源的には死祖霊の籠る山とみなされていたと推考する。
総説 城陽市の民俗文化の特徴 単著 城陽市歴史民俗資料館 編刊『城陽市民俗調査報告書』第3集 P2〜P7 20060100 京都府城陽市の事業として15年間にわたって実施された旧12ヵ町村の民俗総合調査の最終報告書に記した総説。市内の民俗文化の特徴として、(1)地縁小集団のチョウ(町)が生活互助共同体として機能していること、(2)同世代集団として観音講が終生連帯性をもつこと、(3)両墓制と浄土宗寺院が濃密に分布すること、(4)年中行事として年末のスナマキ、正月のノエノレイ、盆の精霊の善光寺参りに特徴があること、(5)オンマカ風呂と東大寺信仰の緊密性などについて指摘し、伝統文化の現代的意義についても提言する。
中世大和興福寺の祈雨儀礼 単著 『日本文化史研究』 第37号 帝塚山大学日本文化史学会 P1〜P24 20060300 『大乗院寺社雑事記』に記されている祈雨儀礼について、全巻を検閲した結果、1456年〜1506年までの50年間に116回程行われていたことが判明。儀礼内容には仏教関係として(1)三方入、(2)大般若経読誦・転読、(3)大般若経頓写供養、(4)金光明最勝王経書写と最勝曼陀羅図絵供養、(5)百座仁王講など、民俗関係としては(1)相舞、(2)一万度・三万度、(3)高山・天満宮の竜池の池替、(4)音楽、(5)田楽・猿楽・手猿楽などがあり、興福寺や春日社、郷民らによって多彩に実施されていたことを論述する。
大和における竜神信仰の聖地 単著 『帝塚山大学人文科学部紀要』第19号 P39〜P61 20060300 大和の竜神信仰の聖地について、室生山の竜穴・竜穴神社・室生寺、香山の鳴雷神社・竜池、布留郷の布留神社・竜王山・南無手踊りなどから考察。これらが国家、荘園領主、郷民それぞれの祈雨儀礼の聖地となったことを明らかにし、竜神・竜王信仰がその中核に存在し、仏教とくに真言密教の影響が大きいことを説く。旱災における祈雨儀礼の主催者は時代と共に変わり、儀礼内容も変質するが、稲作に不可欠な「水」を求める心は時代、地域、階層的に超然としており、ここに常民性が発見されると指摘する。
中世後期の都市妖異伝承 単著 『帝塚山大学人文科学部紀要』第21号 P29〜P40 20070300 中世後期の京都や奈良で発生した妖異、妖怪伝承について、『大乗院寺社雑事記』の記事から分析。鴟が人を取る伝承、火柱・髪切り・人取り・妖物・化物・天狗・流星・人魂の出現、御霊や地霊のタタリ等に足利将軍家や都市住民が動揺している社会世相を明らかにすると共に、この不安解消のために京都では祇園祭り、奈良では春日若宮御祭りが盛大に行われ、妖異、妖物というケガレを祭礼というハレで排除する理念が強くあったと論述。
丹後地方の洞窟信仰と動物崇拝 単著 『帝塚山大学人文科学部紀要』第22号 P23〜P42 20071100 丹後地方の洞窟信仰や動物崇拝について近世の『丹哥府志』等の地誌や現地調査の資料によって分析。洞窟信仰については、本庄浜、泊、蒲入、袖志の海岸部の洞窟がカミやホトケの住みか、理想郷への入り口とみなされていたこと。一方大江山や鬼ヶ城という山中の洞窟は鬼の住みかとする伝承が強いが、本源的には祖霊の籠る聖地であったと推考。動物崇拝については、吉坂の白狐信仰が稲荷信仰へと昇華する過程、大川神社の神狼信仰が地域社会へ定着した過程を論述した。
興福寺の宗教制裁‐名字籠と呪詛‐ 単著 『帝塚山大学人文科学部紀要』第23号 P21〜P43 20080300 15世紀後半の大和において、興福寺が寺領荘園で生起した荘官らの違反行為に対して、違反者の名字を紙に記して五社七堂に籠める名字籠や宗教的呪詛を実施していたことについて分析。実施時期は初現が1456年、最後は1504年であり、この48年間に63例あること、その対象者は国民・衆徒という上層荘官が19例、下級荘官、下司、地侍、庄郷らが34例であり、理由は年貢末進等の経済的原因が32例、放火、殺人等の社会的原因が11例、荘違乱等の政治的原因が8例あり、これらのことから荘園体制が次第に解体していったことを論述。
丹後地方の竜蛇信仰と動物供養 単著 『日本文化史研究』第39号 帝塚山大学日本文化史学会 P27〜P46 20080300 丹後地方の竜蛇信仰や動物供養について、『丹哥府志』や『丹後旧語集』、および現地調査資料により分析。竜蛇信仰については、舞鶴市布敷の池姫神社や同市城屋の雨引神社の創祀由来に示されている大蛇退治伝承が、これらの地域の開拓の歴史や治水史、稲作、雨乞等に深い関連性を有していること。また動物供養については、大蛇が竜とみなされ崇拝されたり、犬や鯨が供養され、仏教が民間に定着すると、精霊信仰が仏教供養信仰となっていくことを論述。
中世後期における一条家の葬送と追善儀礼 単著 『帝塚山大学人文科学部紀要』第24号 P1〜P33 20081200 公家の一条兼良およびその孫慈尋の葬送、追善儀礼について、『大乗院寺社雑事記』を主史料として分析。その結果、(1)兼良の墓は東福寺一条家墓地、慈尋の墓は極楽坊に建てられ、遺骨は奈良の数ヵ寺に分骨されたこと。(2)兼良や慈尋の遺影が絵師によって描かれて祭壇に祀られており、御影信仰が典型的にうかがえること。(3)十王思想を背景として十仏信仰がみられ、十仏事には本地仏の仏菩薩が描かれて供養されたこと。(4)一条家の子女が入室出来る門跡寺院が九カ寺あり、その内の一つの大乗院では尋尊が家門の先祖信仰にあたっていたこと。(5)当時、十仏事、十三仏事、十五仏事、月忌、祥月命日の法要が成立、展開していたこと、などが判明した。
中世後期における大乗院奉公人の葬祭儀礼 単著 『日本文化史研究』第40号 P1〜P25 20090300 大乗院小者の愛満丸、東林院中童子の春菊丸という二人の奉公人の奉公生活や死後の葬祭儀礼について分析。愛満丸は尋尊の社寺参詣・参籠・京都参賀・連歌会などに随行、のち出家して丞阿弥と称し、28歳で自害。極楽坊に建塔、遺骨は在々所々に分骨、七七忌は白亳寺であり、地蔵1349体の摺写供養が行われ、三回忌迄尋尊が丁重に供養したこと。また、春菊丸は16歳で他界し、眉間寺で葬儀、初七日には5670本の卒都婆が建立し始められたことなどを明示。中世封建社会において、身分や階層の低い奉公人たちが興福寺という巨大寺門を構成する一員であることから、その死後においては手厚く仏教色濃厚な追善法要を受けていたことを指摘。
戦国期美濃国における禅院の建立と小林寺殿の葬祭儀礼 単著 『帝塚山大学人文科学部紀要』第25号 P1〜P22 20090300 一条兼良の正室である小林寺殿の美濃下向、美濃における守護土岐氏、守護代斎藤氏の寺院建立状況、小林寺殿の美濃における葬儀と斎藤妙椿の関与、その後の奈良大乗院の尋尊による追善儀礼について分析。とくに兼良と親交の深かった妙椿が妙心寺派の悟渓に帰依し、美濃には妙心寺派寺院が多数建立されたこと、小林寺殿の葬儀は岐阜の小林寺で悟渓や妙椿が中心となって行われたこと、奈良における追善儀礼は三回忌までは浄土寺、白毫寺、極楽坊など阿弥陀を本尊とする寺で主に行われたこと、一回忌に八万四千基塔(五輪塔)と地蔵千体の摺写供養、十三回忌には大日如来造立供養などを行い、さらに三十三回忌までの十五仏事を完全に営んだことを明示した。
中世後期南都の盆行事について 単著 『帝塚山大学人文学部紀要』第26号 P1〜P18 20091100 中世後期の南都の盆行事について、『大乗院寺社雑事記』を主史料として分析。その結果、大乗院仏壇では尋尊の実家である一条家の「家門霊」と共に、院主を務める大乗院の歴代住持や三箇院家の本願(初代)の「寺門霊」を祀っており、公家と寺家という性格の異なる「家」の霊魂供養をしていることが明らかとなった。また、新仏と古仏に対しては「御霊供」、餓鬼仏に対しては「惣鉢」を供え、墓参りには極楽坊、己心寺に行っていたことも明らかとなった。 一方、奈良町中や近郷の庶民は共同体で辻念仏や念仏風流を中心に霊魂供養をしており、個家の霊魂供養は中世末期近世初期に至る迄なかったと推考した。
中世後期南都の舎利信仰 単著 『帝塚山大学人文学部紀要』第27号 P1-P22 20100300 中世後期の南都の舎利信仰について、『大乗院寺社雑事記』を主史料として分析。興福寺大乗院主尋尊の仏舎利相伝、舎利殿建立、仏舎利分与の状況を検討し、とくに仏舎利を分与した相手の身分、階層には(1)朝廷、(2)興福寺僧、(3)興福寺奉公人、(4)大乗院方衆徒およびその一党や衆中沙汰人、(5)大乗院方衆徒の被官、(6)地方寺院の寺僧や尼僧、東大寺法花堂衆らがあり、15世紀後半から16世紀初頭にかけて、南都では仏舎利信仰が拡大、浸透しており、これは鎌倉時代の重源、叡尊の舎利信仰の伝統を継承したものであることを明らかにする。
南都寺院の仏舎利相伝 単著 『日本文化史研究』第41号 P25-P42 20100300 鎌倉中期から室町前期にかけての東大寺、大安寺、西大寺の仏舎利相伝状況について、『南都七大寺巡礼記』や『東大寺続要録』を主史料として分析。東大寺に関しては、大仏殿内の大仏や四天王、浄土堂、真言院、新禅院、唐禅院における仏舎利の相伝状況、さらには行基舎利供養、東寺舎利の真言院への奉入を検討し、13世紀後半に円照や聖守によって仏舎利や行基舎利信仰が高まったことを指摘。また大安寺の宝蔵に菩提僊那請来の仏舎利があり、中世後期に衆徒古市澄胤がこれを分与申請したこと、さらに西大寺の四王堂、真言堂、西室に仏舎利納入の仏殿、仏塔、舎利容器があり、舎利信仰の拠点となっていることを指摘。とくに彫像内に舎利を納入して生身仏とする型には6類型あることについても考察した。
日本人の休日観 単著 『都市問題』 第101巻 第10号 東京市政調査会 P4-P8 20101000 日本人がどのような日に休み、何をしてきたのかについて、江戸時代の農民の休日を中心に分析。文化7年(1810)に定められた山城国久世郡上津屋村(城陽市上津屋)の「年内休日定」には、正月や盆を中心に年間21日半の休日が傘連判状の型式を踏んで記されており、このほか雨よろこびや日和祝い、お蔭踊りの休日もあり、いずれの日も神仏諸霊を祀り、厄神を鎮める祭事がくりひろげられたことを明らかにする。各地の俚謡には休日の晴着、晴食に対する憧憬観が歌い込まれており、総じて休日は人々の再生と強化、共同体の安全を推進する日であったと指摘する。
南都寺院の仏舎利相伝と 納骨信仰 単著 『帝塚山大学人文学部紀要』第28号 P1-P10 20101100 南都寺院の中世における仏舎利相伝状況について、『七大寺日記』、『南都七大寺巡礼記』、『興福寺濫觴記』、『大乗院寺社雑事記』を主史料として分析。その結果、興福寺の勧学院・同院多宝塔・同院勤行所、西金堂、東御塔(五重大塔)、四恩院(十三重塔)、さらに元興寺(五重塔)、極楽坊(太子像内)、薬師寺(金堂)、法隆寺(舎利堂)、橘寺に仏舎利がそれぞれ相伝されていることが判明。とくに仏舎利信仰はわが国では聖徳太子への信仰と深く結びついて古代に発生、展開したこと、仏舎利信仰の影響をうけて高僧舎利信仰が生まれ、やがては極楽坊などへの霊場納骨信仰が生じたことなどを考察する。
唐招提寺の仏舎利信仰と釈迦念仏会 単著 『帝塚山大学人文学部紀要』第29号 P1-P18 20110300 唐招提寺における仏舎利信仰と釈迦念仏会の状況について分析。貞慶が建仁3年(1203)9月19日から釈迦念仏会を始めるにあたって記した念仏会開催の趣意文である「釈迦念仏会願文」には釈迦や仏舎利の霊験、功徳を説き、七日七夜の釈迦念仏会に参加すれば現世安穏、来世往生は約束されると信仰面を強調しているが、念仏会開催の第一目的は多数の結縁者の寄進を得て唐招提寺の復興をはかろうとする経済的目的があったことを指摘。これより51年後の建長6年(1254)9月19日に念仏会に参加した一結弟子等が記した「念仏会諷誦文」には法華経を講讃し、自他の現当二世の安楽を願っていることが明らかであり、さらに正嘉2年(1258)6月20日に念仏会のために造立された釈迦如来像の胎内文書には1万人近くの結縁交名があり、多数の結縁者があったこと、慶長14年(1609)9月19日記の「釈迦念仏諸寺諸山結番定」には諸寺19カ寺、諸山7カ寺の出仕結番寺院があったこと等を分析。
法金剛院道御と高山寺明恵の釈迦・舎利信仰 単著 『日本文化史研究』第42号 奈良学総合文化研究所 P1-P21 20110300 京都寺院の仏舎利信仰について、法金剛院の道御と高山寺の明恵の宗教活動から分析。道御は南都諸宗寺院で修行を積み、やがて京都に進出し、融通念仏による勧進活動をし、清涼院、法金剛院、壬生寺の再興や民衆教化活動をし、晩年の乾元2年(1303)3月には摂津国勝尾寺で千座舎利供養を行い、同寺復興につとめたこと、さらに彼の没後の元応1年(1319)4月18日に造立された法金剛院の十一面観音像の胎内文書には1万3千人の結縁者によって造立され、結縁者は自他の現当二世安楽を願っていることが示されており、さらに同像内には舎利瓶も納入されており、これらは道御の遺徳によって成就したものであろうと指摘。 明恵は建永1年(1206)11月に華厳宗興隆の道場として高山寺を創建した。彼の釈迦・舎利信仰について、高山寺本尊が釈迦如来であること、涅槃会の祭場を釈迦成道の聖地、聖場を模して山中に作り、両法会を一体として行っており、これはインドなどのウェーサク祭に起因するものであろうこと、貞慶より仏舎利を相伝したこと、南都仏教の特徴である釈迦の垂迹神を春日神とする釈迦春日習合思想を強く持っていたことなどを明らかにした。
生駒山の霊場形成過程について 単著 『帝塚山大学人文学部紀要』第30号 P1-P31 20111100 湛海が延宝6年(1678)に生駒山に入山して霊場化を進めていく過程を諸史料により分析。その結果、(1)寺堂塔碑等の造立には、梶氏や大神氏ら篤信者個人の寄進によることが多大であり、これは中世の勧進による万人結縁喜捨によることとは異質。(2)不動に対する護摩供、聖天に対する浴油供を中心とした現世利益を求める法会が盛んに行われているが、篤信者は生駒霊場を先祖信仰の場としたこと。(3)湛海は伝法灌頂や弟子灌頂を実施し、多くの弟子を養成したこと。(4)宝山寺衆僧が行う儀礼の規式を作成し、法会内容の徹底をはかったこと。(5)宝山寺衆僧が守るべき生活規範を制定し、規律ある生活態度の徹底をはかったこと。(6)真言律宗西大寺末寺となり、宝山寺の寺格を整えたこと、等を明らかにした。
中世大和の地蔵信仰 単著 『帝塚山大学人文学部紀要』第31号 P1-P16 20120300 中世大和の地蔵信仰の実態を探るために、金石文史料を主な史料として分析。その結果、(1)中世大和の有紀年銘地蔵仏(木造・石造)の総数は369基であること。(2)有紀年銘最古の地蔵仏は文治4年(1188)銘の桜井市金屋会所所蔵の木造地蔵菩薩坐像であること。(3)地蔵仏の造立時期は、室町中期後半の文明13年(1481)頃から急激に増加すること。(4)室町中期後半以降、大和の葬送儀礼や先祖信仰は地蔵信仰と深く習合して展開したこと。(5)木造地蔵菩薩像の造立には、多数の結縁者があったこと。(6)六道能化の地蔵仏は現世と来世の安楽をもたらすメシアとして、大和では阿弥陀仏よりははるかに多くの信仰を得たと思われること、等を指摘した。
生駒宝山寺湛海の仏舎利信仰 単著 『日本文化史研究』第43号 奈良学総合文化研究所 P1-P21 20120300 生駒山に宝山寺を造立し、不動信仰や聖天信仰を強力に推進した湛海は、一方では仏舎利信仰を熱心に深めたことを分析。すなわち(1)十三重石塔を山下の助修者の協力により山内に再建し、塔内に仏舎利を納入したこと。(2)七基前後の舎利塔を造立し、三万余粒の仏舎利を収集し、鎌倉時代に顕著にみられた南都仏教の舎利信仰の伝統を継承していること。(3)収集した仏舎利を他者に分与し、仏舎利信仰を広めていること。(4)彼は正徳3年(1713)に法輪寺で行われた釈迦涅槃図開眼法要の導師となったこと。(5)釈迦涅槃図の供養は釈迦信仰、始祖信仰、先祖信仰が重層的にみられること、等を明らかにした。
金石文にみる中世大和の地蔵信仰 単著 『帝塚山大学人文学部紀要』第32号 pp. 1-57 20121100 中世大和の地蔵信仰がどのように地域社会に定着したのかについて、金石文史料や寺社の分布状況などから分析。中世の有紀年銘石造地蔵仏塔碑は県下に354基あり、とくに文明13年(1481)以降増加し、永正8年(1511)以降は爆発的に造立されたこと、地蔵仏塔碑は真言、浄土、融通念仏宗寺院境内に多数あり、これら宗派寺院が地蔵信仰の浸透、定着に深く関与したことを指摘。さらに地蔵仏塔碑の造立目的は、(1)現世利益目的、(2)現当二世利益目的、(3)逆修目的、(4)来世往生目的、(5)追善目的、(6)供養法会記念目的、(7)墓碑目的、(8)引導碑目的、の8類型があること、また地蔵信仰の習合状況について、(1)地蔵と閻魔十王、(2)地蔵と阿弥陀、(3)地蔵と弥勒、(4)地蔵と春日神、の4類型があること等を提示し、多様に展開する地蔵信仰の実態を論じた。
中世大和の念仏信仰 単著 『帝塚山大学人文学部紀要』第33号 pp. 1-21 20130300 中世大和の念仏信仰の実態について、『大乗院寺社雑事記』などから分析。とくに、(1)元興寺極楽坊の百万遍念仏、百日念仏、七日大念仏、大乗院関係者の追善儀礼にみられる百万遍念仏、(2)奈良の円成寺、竜華院、放光院などの諸寺院の年中行事にみられる念仏行事、(3)伊賀長田の西蓮寺で行われた天台真盛派開祖真盛による四十八日別時念仏と「不断念仏」の志趣、等を考察。15世紀を中心に浄土往生信仰が地域社会に定着した状況を明らかにした。
中世大和の講衆による地蔵信仰 単著 『日本文化史研究』第44号 pp. 1-20 20130300 16世紀以降の大和の地蔵信仰が講集団によって展開していたことを、講衆碑の分析で明らかにした。中世の地蔵信仰講衆碑は県下に29基あり、地蔵講、一結衆、念仏講中、六斎念仏衆、庚申講一結衆などの講衆名があり、集団的に講行事をし、現世利益や後生安楽を祈願したこと、また講衆碑は寺院、村堂、村墓、寺墓などに造立されており、永正8年(1511)以降増加することなどから、この頃に地蔵信仰が真に共同体の信仰となった点を論じ、さらにこれら講衆碑は、個人石塔発生以前の共同詣墓として機能したと推考した。

 講演・口頭発表等

タイトル 講演者 単著・共著の別 会議名 開催年月日 主催者 開催地 概要
神と仏の民俗信仰 2010年度山陰民俗学会大会 於 島根県松江市 松江テルサ 20100801
神と仏の民俗宗教 飛鳥保存財団第195回「あすか塾」講演 於 祝戸荘 20100918
南都の舎利信仰 奈良学総合文化研究所公開講座 “奈良学への招待IX” 於 帝塚山大学 20101009
仏舎利信仰と霊場納骨信仰 帝塚山大学民俗談話会第120回例会 於 帝塚山大学 20101121

 その他業績

タイトル 実施年月 単著・共著の別 発行所、発行雑誌又は発表学会等の名称 分類 概要
日本民俗建築学会編『図説民俗建築大事典』 20011101 単著 柏書房 (辞典項目) 風呂 もらい風呂ともやい風呂 民俗学からみた民家 左記3項目について解説(P198〜P201 P394〜P395)
竹田聴洲著『近世村落の社寺と 神仏習合』 20031200 単著 黒田日出男ほか編 『日本史文献事典』 所収 弘文堂 (文献解題) (P713)
竹田聴洲著『民俗仏教と祖先信仰』 20031200 単著 黒田日出男ほか編 『日本史文献事典』 所収 弘文堂 (文献解題) (P712〜P713)
竹田聴洲著『祖先崇拝』 20031200 単著 黒田日出男ほか編 『日本史文献事典』 所収 弘文堂 (文献解題) (P712)
赤田光男著『祭儀習俗の研究』 20031200 単著 黒田日出男ほか編 『日本史文献事典』 所収 弘文堂 (文献解題) (P13)
研究と教育-民俗学教育の具体例・帝塚山大学- 20040300 単著 福田アジオほか編 『講座日本の民俗学』第11巻所収 雄山閣出版 (教育研究-紹介-) 帝塚山大学の学部、大学院における民俗学関係のカリキュラムおよび研究活動について紹介する。(P221)
日本民俗建築学会編 『写真でみる民家大事典』 20050400 単著 柏書房 (辞典項目) 五右衛門風呂 蒸し風呂 左記2項目を執筆(P131〜P132)
歴史学会編 『郷土史大辞典』(上)(下) 20050600 単著 朝倉書房 (辞典項目) 産着 産小屋 子供組 七五三 千歳飴 月小屋 年忌供養 袴着 初誕生 晴着 棺 命名 厄年 左記13項目を執筆
20060000 (共同民俗調査) 京丹後市史編纂のための民俗調査を2006年度より実施した。2008年度までの調査地区は下記のとおりである。 2006年度・・・<久美浜町>・・・河梨・尉ヶ畑・女布・市野々・布袋野の5ヵ村 2007年度・・・<網野町>・・・磯・浜詰・浅茂川・遊・掛津・切畑・溝野・日和田の8ヵ村 2008年度・・・<丹後町>・・・間人・竹野・乗原・宮・牧の谷・袖志・三山の7ヵ村 上記の3町旧20ヵ村の調査を本学大学院生と共に実施し、その報告書を市史編纂室に提出した(未刊)。赤田執筆担当村は磯・浜詰・溝野・日和田・乗原・三山の6ヵ村である。なおこの調査は2011年度まで継続の予定。 京丹後市史編纂のための民俗調査を2009年度に実施した。調査地区は弥栄町の船木・国久・和田野・等楽寺・外村・吉沢および丹後町宮の7カ村であり、本学大学院生と共に実施した。(2006年〜2011年)
五来重著『日本人の死生観と葬墓史』 20080200 単著 法蔵館 (文献解題) 左記著作集第3巻解説「五来重の葬墓史研究」を執筆(P373〜P382)
五来重の葬法論と葬具論 20090800 単著 『五来重著作集第11巻 葬と供養(上)』の解説 法蔵館 (文献解題) (P515〜P524)
五来重の葬儀論 20090900 単著 『五来重著作集第12巻 葬と供養(下)』の解説 法蔵館 (文献解題) (P527〜P536)
都市民俗史への視角 20091000 単著 倉石忠彦ほか編 『都市民俗基本論文集第1巻都市民俗学研究の方法』所収岩田書院 (論文再録) 左記論文は『帝塚山短期大学紀要―人文・社会科学編』第25号に初出、(1988年3月)(P379〜P399)
祭りだワッショイ 20100900 NHK総合テレビ かんさい特集 ゲスト(監修)出演 (出演)
干支とウサギ 20100900 『卯を描く』所収 誠文堂新光社 (取材協力) 日本人のウサギ信仰についての取材を受け、その発言内容の一部が左記文中に掲載される。
兎ゆかりの神社に詣でる 20101206 『日経おとなのoff』114号 所収 日経BP社 (取材協力) ウサギと月信仰についての取材を受け、その発言内容の一部が左記文中に掲載される。
タイムスクープハンター「明治うさぎバブル」 20130420 NHK総合テレビ (時代考証)
(共同民俗調査) 京丹後市史編纂のための共同民俗調査を2010年度に実施した。 調査区域は大宮町の五十河・上常吉・奥大野・久住・延利の5カ村 であり、本学大学院生と共に実施した。 2011年度に峰山町の新町・内記・西山・橋木・鱒留・安の6カ村を調査した。
(共同民俗調査) 2011年度に滋賀県教育委員会の依頼を受けて、大学院生や学部生と共に、甲賀市檪野の民俗調査を実施し、報告書を出した。
(共同民俗調査) 2012年度にも上記と同様の趣旨で、高島市今津町梅原の民俗調査を実施し、報告書を出した。

 所属学協会

所属学協会名 年月(自) 年月(至) 年月(至)区分 職名
日本民俗学会
日本宗教学会
民俗芸能学会

 研究に関連する学内外社会活動

活動年月(自) 活動年月(至) 活動年月(至)区分 内容 分類
20040900 城陽市文化財保護審議会委員(2014年9月まで)
20050800 京丹後市史編さん委員会委員(現在)
20060200 文化庁文化審議会専門委員(2011年2月まで)
20060400 帝塚山大学大学院人文科学研究科長(2010年3月まで)
20061000 滋賀県文化財保護審議会委員(2012年9月まで)
20070700 五来重著作集(全12巻別巻1・法蔵館)編集委員(2009年12月まで)
20081100 帝塚山大学・飛鳥保存財団連携協力シンポジウム 「国博士ら集う飛鳥の里・稲渕〜世界へ」で「稲渕・栢森勧請縄に秘めた宗教性」の講演担当。 於国営飛鳥歴史公園石舞台地区

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