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2015年11月17日|文学部ニュース
【日本文化学科】学外実習で難波宮跡・大阪歴史博物館・大阪城址をめぐりました

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暑くもなく寒くもなく、文句のつけようのない行楽日和となった10月31日(土)、日本文化学科恒例の難波宮跡、大阪市歴史博物館、大阪城をたどる学外実習を実施しました。午後1時に大阪環状線森ノ宮駅に集合。参加学生は、日本文化学科の1年生19人で、鷺森、中島の両教員が引率しました。

今年ははじめて南回りコースを取り、まず玉造稲荷神社とカトリック玉造教会(大阪カテドラル聖マリア大聖堂)を見学しました。玉造稲荷はその創祀が紀元前にさかのぼるという古いいわれを持つ神社で、豊臣時代には大坂城の鎮守神として淀殿や豊臣秀頼の崇敬を受け、江戸時代には、伊勢参の西日本の拠点になったといいます。社内には、秀頼寄進の石の鳥居、この地に屋敷を構えたという千利休を偲ぶ利休井などの他、漫才作家秋田實を顕彰する笑魂碑、近年建てられた秀頼像などが並んでいて興味が尽きません。

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カトリック玉造教会は、創立明治27年ですが、昭和20年の大阪大空襲で焼失、現在「大阪カテドラル」と呼ばれる白壁の聖堂は、昭和38年に落成した、聖母マリアの教会です。入り口正面にはマリア像が掲げられていますが、その両側には細川ガラシャと高山右近の像が置かれています。高山右近は、マニラで生涯を終えた代表的な戦国大名で、摂津国高槻城城主であった人です。細川ガラシャは、明智光秀の三女、玉(たま)ですが、細川忠興に嫁いでこの地の細川家大坂屋敷にいたときに洗礼を受け、ガラシャという洗礼名を受けました。その後悲劇的な生涯を送り、1600年に37歳でこの地の細川屋敷で没しました。その生涯は、芥川龍之介(糸女覚え書き)、司馬遼太郎(胡桃に酒)、三浦綾子(細川ガラシャ夫人)など文学作品の題材にもされてきました。

その後、越中守細川忠興屋敷跡にあったという「越中井」の遺跡を見学して、難波宮跡、大阪歴史博物館、大阪城天守閣という例年恒例のルートをたどりました。

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大阪城では、来年度のNHK大河ドラマが真田丸(大坂冬の陣で真田幸村が大坂城南方に築いた出城)をテーマにしたものだということで、甲冑を着た真田の宣伝隊に観光客が群がっていて、例年にまして人出が多かったようです。折しも夕刻が迫り、肌寒さもひとしおになってきたので、大阪城南方の豊国神社前の出店でみんなでたこ焼きを頬張り、大阪城を後にして、森ノ宮駅に向かったのでした。